〜2002年度〜
11月15日(金) 3年7組 K 隆文
1939年、独とソ連の間に独ソ不可侵条約が結ばれた。その背景は、ヒトラーが「二正面作戦失
敗の悪夢」を避けようとしたことと、スターリンが英独海軍協定(1935年)やスペイン内戦(1936
〜39年)での英・仏の不干渉政策、チェコスロヴァキアにズデーテン地方をドイツに割譲させた
ミュンヘン会談(1938年)といった英の宥和政策で英・仏に不信感を抱いたことである。
11月25日(月) 3年3組 T 浩二(+MT)
英の宥和政策やそれに追従した仏により、ドイツは野放し状態になり、38年には独人国家のオ
ーストリアを併合、独人の多いズデーテン地方をチェコスロヴァキアから取得(ミュンヘン会談で
英・仏が譲歩)、翌39年にはチェコスロヴァキアを解体してチェコを併合、スロヴァキアは保護国
とした。ポーランド回廊を要求した際、英・仏が消極外交を捨てたため、独のヒトラーは二正面作
戦を避けるために、英・仏に不信感を抱いていたソ連のスターリンと独ソ不可侵条約を結んで、
対英・仏の土台を作った。
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