〜2002年度〜

9月25日(水) 3年9組 M 友香

スラブ系民族を国内に抱えていたオーストリア(パン=ゲルマン主義の側)は、1908年、青年
トルコ革命に乗じてボスニア=ヘルツェゴヴィナを併合した。これに不満を持ったセルビア(パン
=スラブ主義の側)などに2度のバルカン戦争で敗れたトルコとブルガリアがドイツに接近して
3B政策が実現すると、オーストリアとセルビアの関係がますます悪化した。この民族主義対立
の激しさが「火薬庫」にたとえられた。

10月21日(月) 3年3組 K 英里

バルカン半島ではパン=ゲルマン主義とパン=スラヴ主義が対立していた。1908年にボスニア
・ヘルツェゴヴィナをオーストリアが併合したことでセルビアの不満が大きくなる。さらに1913〜14
年にバルカン戦争(2回)が起こり、1907年に三国協商が完成して以来短くなった「導火線をどう
かせん」と爆発する危険な状況になった。

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