〜2002年度〜
7月17日(水) 3年8組 I 有希
洪秀全による太平天国の乱(1851〜64年)やアロー戦争(56〜60年)敗北の反省から、清は
改革を決断。前者の鎮圧に活躍した郷紳の漢人官僚による外国との和親、西洋文明を取り
入れるための洋務運動は、同治の中興と呼ばれる安定期を実現させる。しかし、これは一時
的なものにすぎず、官僚たちの中体西用の立場は清の支配体制の維持にとどまり、発展性
に欠けていた。
9月18日(水) 3年3組 H 朋美
太平天国の乱を鎮圧した曾国藩・李鴻章ら漢人官僚は列強の国々との和親や西洋文化の
導入などの洋務運動を推進し、清朝は同地の中興と呼ばれる安定期を迎えたが、官僚が官
営工場や軍隊を私物化したり、儒教の伝統を守りながら西洋文化を応用するという中体西用
という限界もあった。