〜2002年度〜

6月19日(水) 3年7組 T 寛

クリミア戦争で敗れ、ダーダネルス・ボスフォラス海峡の通行権を奪われたロシアでは、新帝
アレクサンドル2世の農奴解放令(1861年)により近代化が試みられた。その結果、産業革
命が始まり国力の充実もあって露土戦争(77〜78年)に勝つことができ、サン=ステファノ条
約で大ブルガリアを通ってエーゲ海への進出が可能になったが、ベルリン会議でビスマルク
の仲介によりそれも失敗した。

6月27日(木) 3年3組 T 司

ロシアは不凍港と市場を得るため南下政策をとりクリミア戦争(1853〜56年)でトルコや英・仏
と戦うも敗れた。そこで新皇帝アレクサンドル2世は、その敗戦を教訓として農奴解放令を出し
(61年)近代化を図り、露土戦争(77〜78年)でトルコを破り、ブルガリアを通ってエーゲ海に出
られるようになった。しかし、ベルリン条約(78年)でブルアリアが3分の1になり、やはり南下は
失敗に終わるのであった。


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