〜2002年度〜

12月18日(水) 2年1組 A 千尋

教会の世俗化が進むにつれて、聖職売買などの弊害が多くなり、聖職者の叙任権の独占を
狙う教皇グレゴリウス7世と国内でのそれを保持したい神聖ローマ(ドイツ)皇帝ハインリヒ4
世との間で、叙任権闘争が起こった。その結果、破門に追いやられたハインリヒ4世は、1077
年、カノッサで謝罪し(「カノッサの屈辱」)、12世紀前半のヴォルムス協約により、叙任権は
教皇のものとなり、国内の教会・修道院の領地の承認は皇帝が行うことになった。

12月17日(火) 2年5組 I 麻美

原因は、叙任権を独占したい教皇グレゴリウス7世に対し、神聖ローマ(ドイツ)皇帝ハインリ
ヒ4世が国内での叙任権を保持したいと主張したこと。結果は、グレゴリウス7世に破門され
たハインリヒ4世が謝り(1077年の「カノッサの屈辱」)、叙任権は教皇のもので、国内の教会
・修道院の領地の承認は皇帝が行うという内容の、ヴォルムス協約が12世紀前半に結ばれ
て、この叙任権闘争は終わった。

〜2001年度〜

12月14日(金) 2年2組 N 麻衣子

教会の世俗化に対し11世紀にクリュニー修道院を中心に教会改革運動が始まった。ここの
出身教皇グレゴリウス7世が聖職叙任権を教皇の手に収めようとして叙任権闘争が起こり
1077年には破門された神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が謝罪するという「カノッサの屈辱」と
なった。12世紀前半のヴォルムス協約で叙任権は教皇の手に渡り、13世紀にはインノケン
ティウス3世が出て教皇権は絶頂に達した。

12月14日(金) 2年8組 I 祐太

教会の世俗化を反省し、改革を行ったクリュニー修道院の思想を受けた教皇グレゴリウス7
世は叙任権を神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と争い1077年には破門されて謝罪というカノッサ
の屈辱事件まで起きた。12世紀前半にはヴォルムス協約で争いは集結したが、その内容は
教皇に叙任権が握られるというものだった。

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