〜2002年度〜
11月29日(木) 2年1組 I 桃子
フランク王国メロヴィング朝の宮宰小ピピンは、自分が王となるための権威付けが欲しく、ロ
ーマ教皇は西ローマ帝国(476年に滅亡)に替わる保護者が欲しかった。両者の利害が一致
したので、教皇は小ピピンのフランク王即位を支持し、これによってカロリング朝を開いた小ピ
ピンは、ロンバルド族を討伐してラヴェンナ地方を教皇に寄進した。
11月29日(木) 2年5組 Y 優雅
小ピピンはカロリング朝を開くに際して、権威付けのために教皇の支持を得た。また、教皇は
その見返りとして小ピピンに、東ローマ帝国や異端のアリウス派のゲルマン国家からの保護
を求める。この関係は、756年に小ピピンが、ロンバルド族討伐に成功し、ラヴェンナ地方を教
皇に献じたことによりますます深まった。
〜2001年度〜
11月29日(木) 2年9組 S 愛
教皇の支持を得ていた小ピピンは751年にカロリング朝を始め、756年にはラヴェンナ地方を
教皇に寄進した。これら2人の行動には、726年のビザンツ皇帝レオン3世による聖像禁止
令以来のコンスタンティノープルの教会との対立があった。外敵からローマの教会を保護して
欲しい教皇と、宗教的な権威付けの欲しい小ピピンの思惑が隠れていたのである。
11月29日(木) 2年2組 N 瑛子
ビザンツ皇帝レオン3世の聖像禁止令(726)によってキリスト教会が東西分裂を始めた。
西のローマ教皇は政治的・軍事的な後ろ盾を必要とし、フランク王国に接近して小ピピンの
メロヴィング朝創始を支持した。一方で小ピピンも自分にはない宗教的な権威を欲し、ローマ
教皇のためにロンバルド族を討ち、ラヴェンナ地方を教皇に寄進した。