〜2002年度〜
11月5日(火) 2年6組 S 菜都子
州県制を用いたり、大土地所有制の佃戸制に寄生したりするなど、中国的だった。しかし、地
方長官はモンゴル人が独占し、科挙の制度は一時的に中断(すぐに再開)され、モンゴル人
が支配身分であるモンゴル人第一主義でもあった。財政に明るい色目人は支配身分とされ
たが、もと金の民である漢人と、最後まで抵抗した南宋の民である南人は支配される側にな
った。
11月6日(水) 2年1組 H 敦子
フビライは中国的な統治を行った。しかし、同時にモンゴル人第一主義をとり、州県制でもその
長官はモンゴル人であった。モンゴル人に次ぐ支配階級として、交易の民である色目人を置いy
て財政を担当させ、支配下に漢人(もと金の民)と南人(もと南宋の民)があった。その他に、
大土地所有制(佃戸制)に寄生したり、科挙を一時中断するなどの特徴もあった。
〜2001年度〜
10月29日(月) 2年7組 F 智子
元は中国に対し、従来の州県制に基づく中国的な政治を行ったが、実質はモンゴル人第一主義
をとっていたため中央政府の首脳部はほとんどこれに独占された。また西域の民である色目人も
モンゴル人と並ぶ支配階級となり財政を担当した。
10月30日(火) 2年2組 M 仁美
フビライは都を大都に遷し、国名を元とした。そして、従来の州県制に基づく政治を行ったが長官
はモンゴル人で、彼らは大土地所有制に寄生した。科挙は一時中断されモンゴル人と色目人を
支配階級に置き、漢人・南人を被支配階級としてモンゴル人第一主義をとった。