〜2002年度〜

10月21日(月) 2年6組 O 匡弘

藩鎮とは、8世紀の唐から地方有力者の節度使が自立したもので、北宋を建てた趙匡胤と2
代太宗は、藩鎮の乱立で唐が衰退したり五代十国時代に中国が分裂混乱した二の舞いにな
らないように、文人官僚を重視した文治主義を行い、また隋時代に始まった科挙を強化(殿試
という皇帝による面接口頭試験)し、また禁軍(正規の国軍)を設置して地方の軍隊を劣弱な
ものにするなどにより君主独裁の中央集権体制を樹立した。

10月23日(水) 2年1組 A 千尋

趙匡胤(太祖)と太宗は、藩鎮勢力の乱立や武断政治の風潮を押さえるため文治主義をとっ
た。節度使の廃止、精鋭兵を集めて中央に禁軍を設置するなどの政策を行うとともに、殿試
を加えることで科挙を完成させた。軍人による武断主義に対して、学識のある文人官僚によ
る政治を行うことによって君主独裁の中央集権体制を築くためであった。

〜2001年度〜

10月9日(火) 2年2組 Y 美樹

太祖趙匡胤と2代太宗は文治主義をとった。君主独裁体制が強化され、殿試が始まって科挙
が完成した。しかし、防衛費増大、官僚増加、農民の佃戸化などによって軍事力の弱体と財政
難を招いた。11世紀後半宰相王安石は新法を行ったが、かえって党争が北宋の力を弱めるこ
とになった。

10月11日(木) 2年9組 I 勤

北宋の趙匡胤や太宗は長い混乱の原因であった武断主義に対し、文治主義によって藩鎮体
制を崩し太平の世を築こうとした。文治主義とは、殿試を加えて完成させた科挙によって優秀
で学識のある人材を集めて官僚とし、シビリアンコントロールによる中国統治を目指した政策
である。


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