〜2002年度〜
9月12日(木) 2年6組 S 真衣
外戚の王莽によって新という王朝が建国されたため漢は前漢と後漢に分かれた。しかしその
新も農民反乱である赤眉の乱の中、わずか15年で終わってしまった。そして劉秀(光武帝)が
再び漢を復興させた。後漢は班超という将軍の西域都護としての活躍があったが、最後には
党錮の禁という宦官の害や黄巾の乱という農民反乱で衰えていった。
9月18日(水) 2年1組 S 亮二
王莽が前漢を滅ぼし、「新しい国」を意味する新王朝を建てた。しかし、王莽の政治は西周を
理想とした、非現実的なただの真似ごとにすぎず、あえなく失敗。農民反乱の赤眉の乱が起
こり、この中で滅亡。替わって漢の帝室の劉一族である劉秀(光武帝)が23年に後漢を建て、
赤眉の乱を27年に鎮圧した。
〜2001年度〜
9月13日(木) 2年8組 H 加奈子
外戚の王莽は漢を奪って新を建てたが、西周の政治のモノマネで社会の実情を無視したため、
農民の赤眉の乱や各地での豪族の反抗で倒れた。これらの乱を治めた劉秀(光武帝)は後漢
を復興し、洛邑から名前を変えた洛陽に都を置いて中国を再統一した。
9月14日(金) 2年2組 N 樹里
前漢の皇帝権力が弱まるとA.D.8年に外戚の王莽が新を建てた。しかしその政治は西周の模
倣に終わり赤眉の乱などにより倒れた。その乱を治めた劉秀(光武帝)が漢を復活させ、都を
洛陽に移し内政に力を入れた。1世紀末には班超が匈奴を討ち、新の時代に失われた西域を
再び支配下に置いた。