〜2002年度〜

9月10日(火) 2年6組 N 礼美

漢の高祖(初代皇帝のこと)劉邦は、秦が郡県制を強行して失敗したことから、中央に官僚
(つまりここでは郡県制)、地方に王侯(つまりここでは封建制)を置くという、郡県制と封建
制を併用した郡国制から漢の政治をスタートさせた。その後、次第に王侯の権力を奪い呉楚
七国の乱を起こさせてそれを平定(景帝の時代)し、実質的に郡県制と変わらない中央集権
体制を確立した。

9月13日(金) 2年1組 S 慎介

漢は秦が郡県制を強行して失敗したことを教訓に、郡県制と封建制を併用した郡国制によっ
て政治を行った。その後B.C.154年に呉楚七国の乱が起こった(王や諸侯を抑圧することに
よって反乱を起こさせた)が、それを平定した後は実質的に全国が郡県制に戻った。しかし、
長い年月をかけて中央集権を確立したところに秦との大きな違いがある。

〜2001年度〜

9月10日(月) 2年9組 S 愛

秦が郡県制を強行して失敗したことから漢は郡県制と封建制を併用する郡国制を行い、約50年
後の呉楚七国の乱鎮圧を機会に実質郡県制にもっていって中央集権体制を確立した。全盛の
武帝は儒学を官学化、儒教を国教化して統一のために利用した。これはローマがキリスト教を
国教化したことに似ている。

9月13日(木) 2年2組 M 仁美

秦が郡県制を強行して失敗したので漢の高祖劉邦は郡県制と封建制を併用した郡国制を用い
た。呉楚七国の乱鎮圧後には実質的に郡県制と変わらない中央集権体制を確立させた。そし
て武帝の時に儒学の官学化と五経博士の設置を行い徳と礼を国家の統一原理とした。

       空欄穴埋めプリントはこちら