〜2002年度〜

9月7日(土) 2年6組 K 康平

中央集権を実現するために急激な改革を行ったため。例えば、武器没収、焚書・坑儒を行い、
もと王族や豪族から反発をくらった。また、匈奴や華南への外征や、万里の長城などの大土
木工事には民衆がかり出されたため、農民反乱である陳勝・呉広の乱が引き金となり秦の
統一は崩れていった。

9月12日(木) 2年1組 N 彩乃
 
秦の始皇帝による急激な改革のため、もと王族や豪族が反感を示し、万里の長城の修築な
どによる負担や度重なる外征が、民衆の重い苦しみとなり、始皇帝の死後、各地に反乱が
起こり、特に陳勝・呉広の乱という農民反乱により、秦は混乱の中で崩壊していった。

〜2001年度〜

7月17日(火) 2年2組 Y 祐樹

それまで地方分権であったものを中央集権へと急激な改革でもとの王族や豪族の反感を買
った。その上、度重なる外征や大規模な土木工事で民衆を苦しめた。そのためだんだんと始
皇帝から心が離れていき、彼の死後まもなく、陳勝・呉広の乱などの反乱が各地で起こり、
劉邦に滅ぼされた。

7月16日(月) 2年8組 A 剛礼

秦の始皇帝は急激な中央集権や様々な統一策にともなう厳しい法を定めた。これは、戦乱の
世を治め、天下を統一するためには仕方のないことだったが、このことがかえって秦の滅亡を
早め、始皇帝の死後次々と各地で反乱が起こり、わずか15年で滅んでしまった。

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