〜2002年度〜
6月10日(月) 2年1組 S 秀美
ローマ帝国の皇帝がキリスト教を承認するかしないかによって国の力が強まったり弱まったり
したこと。キリスト教を皇帝崇拝の強制のために迫害したディオクレティアヌス帝、再禁止した
ユリアヌスの時は国内が乱れ、逆に313年に公認したコンスタンティヌス帝の時は一時的だっ
たが帝国は再建された。しかし、392年にテオドシウス帝が国教にしたにもかかわらず、ローマ
帝国は東西分裂し西ローマは476年に滅びた。
6月10日(月) 2年5組 Y 由布子
ディオクレティアヌス帝が284年に4分統治を行い、専制君主政を始めると皇帝崇拝を強制す
るためにキリスト教を迫害した。しかし、313年にコンスタンティヌス帝はミラノ勅令を出し、帝
国再建のためにキリスト教を公認した。392年、テオドシウス帝は滅亡を防ぐためにキリスト教
を国教化したが、ローマは東西に分裂し、最後には滅亡した。
〜2001年度〜
6月11日(月) 2年8組 M 真樹
ローマ帝国はキリスト教を迫害していた時代と利用していた時代があった。最初は皇帝以外
をあがめることを禁止していたが、「皇帝=キリストに選ばれた者」として市民に崇拝させるこ
とにより帝国崩壊の危機を一時は乗り越えた。しかし、392年にキリスト教をローマの国教に
までしたが、395年東西分裂、476年には西ローマが滅びた。
6月12日(火) 2年2組 H 奈緒
最初皇帝崇拝の考え方のためにキリスト教は迫害されていたが、コンスタンティヌス帝の時
代、帝国統一のために公認され、テオドシウス帝の時には、帝国崩壊をくい止めるため国教
とされた。しかし、キリスト教を利用しても、ローマの滅亡に歯止めをかけることはできなかっ
た。
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