No.122 T.Q.「日露warとロシア第一次revo.との関係とは?」
(3) 独…「強硬な」帝国主義(1880'sはまだ「協調的」 by ビスマルク)
1 1888 3代
[1 ]即位
90 ビスマルク辞職
∵皇帝は露との再保障条約の更新と社会主義者鎮圧法の延長に反対
2 「世界政策」…海軍の大拡張→英との関係悪化(「建艦競争」)
3 保護貿易 for ユンカー→小麦輸出国露との関係も悪化
4 労働・社会主義運動
ラサール → 1875、合同 → 1890’s、急進化しマルクス主義政党
[2 ] →他国の社会主義政党の模範に
↑ but 19C末〜、温和化
ベーベル 修正主義 by
[3 ]
…マルクス主義 …議会主義による社会改良
(4) 露…「
膨張的」帝国主義 by
[4 ](位1894〜
1912)
本能的→多民族国家化 退位
1 19C末、急激な「上から」の工業化 by 大蔵大臣ヴィッテ cf. 仏資本を導入
but 国内市場(広いのに)貧しい ∴さらに対外進出 to バルカン半島・アジア
2 労働・社会主義運動→革命的諸政党
1898、
[5 ]…「revo.主体=工場労働者」 on マルクス主義
→1903、分裂…
[6 ] vs
[7 ]
「すぐに社会主義revo.」 by レーニン 「まずはブルジョワ市民revo.」 by マルトフ・プレハーノフ
1901、
[8 ](S.R.)…「revo.主体=農民」とし、ミールを base とした社会主義│
←ナロードニキの流れ
1905、立憲民主党…「revo. =憲法制定まで」 by 自由主義者ブルジョワ
3 1905.1〜9月、ロシア第一次革命←日露warの徴兵と負け続きに不満
a 1月、
[9 ] in 首都ペテルブルク…「生活改善と平和」を請願
←近衛軍隊の発砲
b 全国へ @ 6月、兵士も反乱 ex. 戦艦ポチョムキン号の反乱
A 都市に
[10 ](「会議」)結成 by 工場労→10月、
ゼネスト
B 諸政党の大同団結
全産業ストライキ
c 政府の対応
アメ =9月、日と講和。
十月宣言(勅令)…国会(ドゥーマ)と憲法を約束。首相に
ヴィッテ
ムチ=弾圧
自由義的改革を目指す
→06、立憲民主党がドゥーマの第一党に
4 専制強化 by 新首相
[11 ]
内 反動政治…ドゥーマ無力化。土地改革…
富農を作る←ミール解体
∴貧富の差拡大
帝政を支持させる
外 特にバルカン半島進出→W.W.T(→ロシアrevo.で帝政崩壊、ソ連に)
No.122. Ans.
1. ヴィルヘルム2世 2. ドイツ社会民主党 3. ベルンシュタイン 4. ニコライ2世
5. ロシア社会民主労働党 6. ボリシェヴィキ 7. メンシェヴィキ 8. 社会革命党
9. 血の日曜日事件 10. ソヴィエト 11. ストルイピン
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