授業№34 経験論(ベーコン)

T.Q.「ベーコンの学問観とは、どういうものか?」

T.A.
ベーコンは、正しい知識を妨げる偏見である4つのイドラの排除を前提にして、帰納法を提唱した。帰納法とは、
実験や観察による個別の事実から一般法則を導き出すものであるので、彼の「知は力なり」という言葉が示す
ように、知識は自然を支配するための手段であると考えた。

2022(R4)年度

11月25日(金)

「種族のイドラ」

           私は四つのイドラの中で、種族のイドラがとても面白いと感じた。なぜなら、私は美術が好きで、特に目の錯覚を利用した
面白い絵にとても惹かれるからだ。

授業担当者のコメント:「だまし絵」ですね。有名な画家はベルギーのマグリットで、何年か前に東京の国立西洋美術館(上野公園)で展覧会があった
と思
います(行きたかった!)。人類という種族ならではの「錯覚というイドラ」を、逆に利用したエンタメ作品…なんですよね。
人間
の発想って、面白い!

「知識の使い道」

「知は力なり」。知識は私も大切だと思います。「この世で最も恐ろしいことは無知なこと
だ」は、私の好きな言葉です。だけど
ベーコンの考え方は違うと思います。知識は自然
を支配するためではなく自分のため、相手のためにあるはずです。

授業担当者のコメント:知識と知恵は別物で、知識には「理性万能主義」や「知は力」の傲慢さを、私も感じます。知恵には経験の裏付けがあって、その
               人の体温まで伝わってくるような気がします。そう言えば、「おばあちゃんの知恵袋」とか言いますからね。

2021(R3)年度

1月18日(火) 3I倫理

「偏見(イドラ)」 ( )内は授業担当者

私は、この世界には偏見が多いなと思います。そして、1人ひとりがそれぞれ、自分のものの見方・考え方を変えたら、
偏見はなくなっていくんじゃないかと思った。

授業担当者のコメント:私もそう思います。みんながベーコンの哲学を学んで、「種族のイドラ」で錯覚に、「洞窟のイドラ」で自分の狭い視野に、
「市場の
イドラ」で流行に、「劇場のイドラ」で権威に、それぞれ気をつけることができるようになれば、偏見や先入観、
そしてそれらに基
づく誤解や差別、争いをなくすことができると思います。

「(障害を持つ人達に対する偏見)」 ( )内は授業担当者

私も先生が言っていた「障害を持つ人達に対する考え方」がすごくいいなと思いました。
だから、「障害者」(とか「障害の
ある人」)と言わず、「障害を持っている人」と言うべき
だと思いました。

授業担当者のコメント:2学期初めの授業(孟子の思想)で、次のような「ウルトラ80」を書いてくれた生徒がいました。「君子になるために
           頑張ること
(そんな人のことを、孟子は「大丈夫」と呼んだ)は、とても大切なことだと分かった。また、障害者の人達の
           ことを(英語で)
「チャレンジャー・パーソン」と呼ぶことに、すごく驚いたが、納得した」。私は、障害を持つ人も持た
           ない人も、今を生きる「チ
ャレンジャー・パーソン」だと思います。このような見方・考え方が、障害を持つ人達への偏見
           や差別をなくす力になるのではな
いでしょうか。これもベーコンの哲学の応用ですね。

1月24日(月) 3K倫理

「イドラ」※( )内は授業担当者

四つのイドラは現代まで引き継がれて(存在して)いて、「特に劇場のイドラ」は、ネットリテラシー(ネットの情報や事象を
正しく理解し、それを適切に判断、運用できる能力)の話の中でも聞いたことだなと思いました。でも、偏見を捨てるのは
とても難しいことだとも思うので、悩ましい。

授業担当者のコメント:情報の授業に出てきたのですね。私も授業で使用するパワポの資料などは、できるだけ、出典(情報の出所。たとえば、本の
タイ
トルや著者名、ネットの情報ならサイト名など)を示すことを心掛けています。偏見を捨てるのは難しいですが、
ベーコンの哲学を学ぶことで、少しでも無くすとかしていければ、政治も良くなるし教育(学校)も良くなって、世の中全体
が良くなるのではないでしょうか。

「AI(人工知能)を作る技術」 ※( )内は授業担当者

AIを作る技術が(今は)あると聞いたが、これは良い事だと思う。一方、(AIやそれを使ったロボットなどを)作れば
人材が要(い)らなくなったり、AIを操る技術を持った人がそれを悪用する場合もあると思った。

業担当者のコメント:物事には必ずプラス面とマイナス面の両方がありますね。そしてあなたは、マイナス面について深く考えたウルトラ80を
書いて
くれました。みんなが参考にしてくれると思います。

~番外編~

「イドラ」という言葉にどんな意味があるのかが、とても気になる。

授業担当者のコメント:お答えします。ラテン語(古代ローマで使われていた言葉。ヨーロッパの古語)の idola で、「偏見」や「先入観」の意味。
本来の
意味は「幻影」「偶像」だそうです。意味を知ると「丸暗記」じゃなくなるので、とてもいい学習方法だと思います。

2020(R2)年度

11月11日(水) 3K倫理

「劇場のイドラ」


自分で考えもせず他の人の言葉などだけを信じることは、良くないことだと分かった。から、これからは、          
色んな事を自分で考えて決めていきたい。

授業担当者からのコメント:これは、政治家や聖職者(キリスト教の神父さんや仏教のお坊さん)が、まるで
  劇場の舞台俳優のように善や正義についてお説教をしていて、それを人々が信じ
  込まされていることに例えている比喩ですね。権威を盲信(自分の頭<や心>で考
  えずに信じてしまうこと)しないように気をつけましょう。アメリカのトランプさん
  も日本の菅さんも、大統領だから正しいとか首相だから正しいということではないの
  ですね。

「4つのイドラ」

私も4つのイドラに正しい知識を妨げられているかもしれない…。だから、しっかりと考えていきたい。

授業担当者からのコメント:種族のイドラで錯覚に、洞窟のイドラで自分の狭い視野に、市場のイドラで流行に、
  劇場のイドラで権威に、それぞれ気をつけることができる自分になりましょう。

11月11日(水) 3C倫理

「(4つのイドラを知ることの価値)」 ( )内は、授業担当者

4つのイドラ(を知ることやそれらを意識して生きること)はとても良いと思った。なぜなら、それに気づくことが
できる人が増えたら、(人生や世の中が)色々と良くなると思う
から。

授業担当者からのコメント:私も同感です。そうやって偏見を無くすとか、少なくしていければ、政治も良くなるし、
  教育(学校)も良くなって、世の中全体が良くなるのではないでしょうか。

「(帰納法とプレゼン発表)」  ( )内は、授業担当者

 帰納法を知りました。だから、プレゼンの授業などで使ってみたいです。

授業担当者からのコメント:3年総研のキャリハ(キャリア・リハーサル課題探究活動)にも使ってください。
  そろそろ、校外フィールドワークですね。プレゼンの説得力を高めるには、理由や
  根拠になる情報やデータの収集が大事です。楽しみながら頑張ってくださいね。

2019(H31→R元)年度

11月20日(水) 3K倫理

「イドラ(偏見)」

種族・洞窟・市場・劇場という、4つのイドラを習った。そして、その中の市場のイドラと劇場のイドラは、私もインターネットの情報
を信じ込んだりするなど、実際にそういう事があったので気をつけようと思いました。

授業担当者からのコメント:私もできるだけ、出典(情報の出所。たとえば、本のタイトルや著者名、ネットの情報ならサイト名など)を
                 示すことを心掛けています。授業で使用しているパワポの資料などで。


「イドラ」 ※( )内は授業担当者

たくさん(4つのイドラの例のことですね)のイドラの中でも、私が気をつけなければならないイドラは「劇場のイドラ」だと思う。だから
偉い人や賢い人だからといって、(その言葉や考え方を)盲信(自分で考えないで、正しいと信じ込んでしまうこと)しないようにしたい。

授業担当者からのコメント:自分の頭で考えて、自分の心(魂)で決めて、それに向かって自分の足で歩いていく。「世の中に 失敗なんて
                 ありゃせんぞ」という坂本龍馬の言葉を信じて…。


11月26日(火) 3I倫理

「機械論的自然観」 ※( )内は授業担当者

僕はガリレイの機械論的自然観に、納得すると同時に反対でもある。確かに今や人間は、自然の植物に(人工的な)手を加えたり、
少し前には動物のクローンを造り出した。しかしこれでは、「魂という物質・物体」は、どう説明すればいいのかが分からないではない
かと思った。

授業担当者からのコメント:「人間の…」というより、「一人ひとりの個人の心や魂というものも、一種の物質・物体に過ぎない」という
                 考え方を、私はとても怖いと思う。その考え方は、「一人ひとりの個人のコピーが造られてもいいじゃん」とか、
                 「かけがえのない一人ひとりの個人なんて存在しない」という間違った思想を生んでしまうと思うから。


「洞窟のイドラ」 ※( )内は授業担当者

人にとって一番身近なイドラは、「洞窟のイドラ」だと思う。なぜなら、嫌いな食べ物が「食わず嫌い」だっりするからであり、「どうせ無理」
というのも、過去に似たような事で失敗したから、それを引きずっているのだと思う。

授業担当者からのコメント:「滅びの言葉」である「どうせ無理」に言及している点が、鋭い指摘になっていますね。逆に指導者が「どうせ
                 無理」と思ってしまったり、口にしてしまったりするのも、その指導者の経験不足だったり想像力不足だったり、
                 そもそも「学校の先生になる資格無し」だったりするのかもしれませんね。