授業№33 カントの哲学

T.Q.「カントの説く、真に自由な個人と理想社会の在り方とは?」

T.A.
自由とは、自分が自分に法則を課すること、つまり自律である。また、手段的な価値として計算され得ない
人格にこそ人間の尊厳がある。この自他の人格の尊厳性を実現するための道徳的な理想社会を「目的の
王国」と呼び、人類の究極の理想とした。

2020(R2)年度

11月6日(金) 3C倫理

「(ルール)」 ※( )内は、授業担当者

ルールに従って生きていこうと思う。でも、ルールに縛られるのも、あんまり好きじゃない。

授業担当者からのコメント:自由と自分勝手は、似ているようですが根っこの所で違います。本当の
  自由には善悪を判断する良心(カントの言う実践理性=心の理性)が働い
  ていて、「自分以外のみんなの自由」も守ることを大事にする自由なのです。
  だから、浅井千雅先生がよく言っていたように、「仲間を守ることが自分自身
  を守る」ことになるんですね。

「(2つの理性)」 ( )内は、授業担当者

頭と心の2つの理性があることが分かった。そして、心はやっぱり道徳的なんだと思った。

授業担当者からのコメント:理性万能主義をノックアウトしてくれたのが、カントかもしれませんね。
  頭でっかちで知ったかぶりで、悪に走りやすいのが頭の理性=純粋(理論)
  理性なのかもしれないですね。そして、それにブレーキをかけるのが心の理性
  =実践理性(良心や善意志、道徳法則)なのでしょう。

11月9日(月) 3K倫理

「(ルールがあるから自由になれる)」 ( )内は、授業担当者

ルールと自由のところで、野球を例にした話がとても納得できた。なので、ルールに縛られることは、つまら
ないことばかりじゃないと思った。


授業担当者からのコメント:ルールが「縛る」のは、理性を悪用することかもしれませんね。それは、
             薬は飲まないで済めばそれに越したことはないけど、病気の予防や治療の
             ために必要な時には、たとえそれが苦い薬でも飲まなきゃいけないことと
             同じなのかも

「(どう見えるか)」 ( )内は、授業担当者

私が(誰かを)目的として扱っていても、周りから見たら手段として扱っているように見

えることがあるのではないでしょうか。(さて、そうなったら)それは、手段として扱って

いることになるのでしょうか。

授業担当者からのコメント:カントの言葉を復習しましょう。「自分や他者の人格を常に同時に目的と
  して扱い、決して単に手段としてのみ扱わないこと」でしたよね。「常に
  同時に」と「単に手段としてのみ扱わない」の部分に注目すると、周りから
  見るだけでは分からない、あなたと誰かの間の信頼関係や絆があればオッケー
  (手段としてのみ扱っていない)だということでしょう。

2019(H31→R元)年度

11月20日(水) 3K倫理

「自律」

私は今まで、ルールがあるから縛られて生きていかないといけないと考えていました。でも今日の授業で、ルールが
あるからこそ自由で楽しく生きていけるんだと思いました。

授業担当者からのコメント:たとえば野球の自由さとか楽しさは、いろんなルールを守りながら、選手が自分の力や
                 持ち味を発揮してプレーすることや、それを観戦して応援することにあるのですね。これも、
                 「逆説的な真理」(好きだから嫌いとか)の一つですね。


「人間は平等だ。」

私は、人間はすべて平等だと思います。なぜなら、一人ずつ違う人格を持った人間であるからこそ尊厳があると思うからです。

授業担当者からのコメント:あらためて教育基本法(日本の教育の「憲法」みたいなもの)第1条を紹介します。

教育は、人格の完成を目指し、
平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた
心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

私は、人格は完成させるものというよりも、完成を目指し続けるものだと思っています。だから、生まれたばかりの子どもも、
息を引き取りつつある老人も、どんなに重い障害を持つ人も自分のライフ(いのち、人生)の主役として、かけがえのない
(誰とも取り替えられない)人格なのだし、生きるということはそれを全(まっと)うすること=完成を目指し続けて死を迎えると
いうことなのではないでしょうか。そうやって迎えた死は、「永遠のいのち」につながるという意味で誕生といえるのではないで
しょうか。


11月22日(金) 3I倫理

「そう思わない」

僕は、縛られているから自由だとは思わない。だって、自分のしたいようにするのが自由だと思うから。スポーツとかでは
分かるが、生きてく中で最高の自由は自分勝手だと思う。

授業担当者からのコメント:正直な気持ち(考え)を書いてくれて、本当にありがとうございます。しかしこの文章は、カントが
                 主張する「建設的で有意義な」批判にはなっていないと思います。あなたが言っていることは、
                 「自分ファースト(自分優先)」という「悪自由」なのではないでしょうか? 「無人島の自由(自分
                 しか住んでいないから自分勝手)」という「悪自由」なのではないでしょうか? どうか次の写真を
                見て、「本当の自由」について考えてみてください。あなたも私も、「世の中」というチームのメンバー
                ですよ。この写真は、「ジャフメイト」という雑誌に掲載されたものです。実はこれは昨年のもので、
                 今年のものは数値(歩行者が待つ「信号機のない横断歩道」で一時停止しなかったクルマの割合)
                が82.9%になっています。つまり、改善されてきているのです。「ジャフメイト」に拍手です。あなたは、
                信号機や横断歩道のない世の中が、本当に自由な世の中だと思いますか? どうか、素直になって
                ください。優しいあなたなら、きっと大丈夫!