授業bP9・20 日本の仏教A(鎌倉仏教)・日本の仏教B(日蓮、日本文化と仏教)

No.19 T.Q.「浄土教と浄土宗と浄土真宗の関係とは?」

T.A.
浄土教は阿弥陀仏の本願を信じて称名念仏(南無阿弥陀仏と唱える)する信仰である。法然がそれを民衆
向けに改めた浄土宗では、凡夫の行は念仏のみとする専修念仏を説いた。また、親鸞の開いた浄土真宗
は浄土宗と異なり、弥陀の本願をひたすら信仰するという絶対他力を説いた。

No.20 T.Q.「仏教が日本文化に与えた影響とは?」 

T.A.
古くは仏教を大陸の先進文化として受容し大きな役割を果たした。また、因果応報・自業自得というそれまで
の日本になかった道徳観念を与えた。さらに、芸術面では無常観が色濃く西行に代表される遁世者による
中世文学や、世阿弥の能楽などの幽玄の美、千利休の侘び茶の心に影響を及ぼした。

2020(R2)年度

9月18日(金) 3C倫理

「善人・悪人」 ( )内は、授業担当者  

「善人でさえも救ってくれるのだから、悪人はなおさら」というのが分かった。だから、善人(と自分で思い込んでいる人や周りから善人と思われている
人)には、逆に何か足りない所があるのかな、と思った。

授業担当者のコメント:これは深い意見ですね。特に( )内の「自分で自分のことを善人だと思い込んでいる人」には、「善人ぶり」という欠点・弱点
                を感じます。きっとそういう人は、他人を見下しているのでしょう。あの「知ったかぶり」の職業教師(ソフィスト)達のように。

「悪人」 ( )内は、授業担当者  

親鸞の「悪人こそ救われる」という考えは、今まで(登場した哲学や宗教)とは全く違う考え方で驚きました。そして、この考え方の「悪人が深く自覚す
ることで救われる」という言葉を覚えておきたい。

授業担当者のコメント:自分自身の弱さや愚かさを直視できるということは、本当の意味で強くて賢いことかもしれませんね。そして、同じ凡夫(弱者や
                愚者)の一人として、仲間を大事にできるような気がします。

「悪人正機説」   

善人も悪人も救われるって、すごく自分にはない考えだと感じた。しかし、善人も悪人も救われていたら、何でもいいという環境になりそう。

授業担当者のコメント:親鸞は、「薬があるからといって、むやみに毒を飲んではいけない」という言葉を残しています。これは、「悪人の方が救われる
                なら、悪いことをすればするほど救われるのですね」と誤解した弟子や信者の人達に伝えた言葉で、「悪いことをしない努力をし
                た上で、それを自慢せず、それでも無くならない自分の悪を素直に認め、他人の悪を責めないで生き抜くこと」の大切さを語って
                います。

9月23日(水) 3K倫理

「アミダくじ」   

「アミダくじには外れはない」ということが分かった。だから、当たりでなくても外れとは思わずに、それを自分で当たりに変えればいい。

授業担当者のコメント:去年の文化教室(「夢を叶えるゾウ」)での感動を、思い出しました。どんなにつらいことがあっても「運がいい」と受け止めて、
                プラス思考のポジティブシンキングで前向きに生きていくことを大切にしたいです。

「(悪人と罪の自覚)」 ( )内は、授業担当者   

悪人は、自分の罪を自覚しない限り救われないのでしょうか。それに、まず、自分の弱さや罪を自覚した時点で、悪人ではないような気がします。

授業担当者のコメント:倫理ではなく時事研究の授業開きで、私は次のように説明しています。「私の考える『時事力』とは、現代社会で起きている出来
                事を、多面的(+面と−面など)・多角的(日本国内の視点と国際社会の視点など)に見たり、考えたりできる力だと思います」。
                さて、これを倫理に当てはめると、善人と悪人をどのようにとらえる(定義する)かによって、善が「善人ぶり」という悪になり、
                悪が「悪の自覚」という善になるということなのではないでしょうか。これが親鸞の見方・考え方ならば、それが受け入れられな
                くても(それに賛成できなくても)、受け止める(理解する)ことはできるのではないでしょうか。

「(善人こそ)」 ( )内は、授業担当者   

 悪人が救われるべきではないとは思わない。だが、(悪人が)善人よりも救われる(という)のはやはりおかしい。

授業担当者のコメント:上のコメントと同じ考えを、あなたに伝えたいです。

2019(H31→R元)年度

9月17日(火) 3I倫理

「悪人はなおさら。」 ※( )内は、授業担当者

「悪人はなおさら(極楽浄土に往生できる。親鸞の悪人正機説)。」とありますが、救われる悪人もいれば、救われない悪人もいると思います。そして、自分のやった(悪い)
ことに対して後悔する悪人は救われると思います。

授業担当者からのコメント:私、この文章に、少し救われました。ありがとうございます。

「(悪人は地獄行き)」

悪人は救われたらだめだ、と思う。なぜなら、悪人が救われるのなら、人は善人でいる意味がないと思ったから。

授業担当者からのコメント:「善人でいる」ということは、「無理して善いことをしている」ということなのでは? たとえば、「こうしないと、みんなから悪い人と思われる。先生に
                 内申書で悪く書かれる」とか。「こうしないと、極楽に行けない」とか。…それって、一見善に見えても、肝心な「善(よ)さ」がないのでは? 「ふしあ
                 わせなしあわせ」が、一見しあわせに見えても、肝心な「しあわせさ」がないように。


「ある言葉」

今日の授業を受けていて、ある言葉が出てきました。それは「他力本願」です。けれど、少しその意味を考えてみましたが、よくわかりませんでした。それは、他力に身を
任せて願うだけなのか…?

授業担当者からのコメント:「他力」の「他」が「すべての生きとし生けるものを救うことを本願としている」阿弥陀仏なので、その阿弥陀仏と「両想いになろう」ということなの
                では?


9月25日(水) 3K倫理

「親鸞」

今日は、悪人正機説の教えがどんなものかが分かりました。例えば、自らの悪の自覚がなければ仏にすがる心は生まれず、また仏の慈悲による救いがなくては悪人と
しての自己を受け入れることもできないということが分かった。

授業担当者のコメント:「なるほど」と思いました。私の方が、教えてもらいました。