授業bP9・20 日本の仏教A(鎌倉仏教)・日本の仏教B(日蓮、日本文化と仏教)

No.19 T.Q.「浄土教と浄土宗と浄土真宗の関係とは?」

T.A.
浄土教は阿弥陀仏の本願を信じて称名念仏(南無阿弥陀仏と唱える)する信仰である。法然がそれを民衆
向けに改めた浄土宗では、凡夫の行は念仏のみとする専修念仏を説いた。また、親鸞の開いた浄土真宗
は浄土宗と異なり、弥陀の本願をひたすら信仰するという絶対他力を説いた。

No.20 T.Q.「仏教が日本文化に与えた影響とは?」 

T.A.
古くは仏教を大陸の先進文化として受容し大きな役割を果たした。また、因果応報・自業自得というそれまで
の日本になかった道徳観念を与えた。さらに、芸術面では無常観が色濃く西行に代表される遁世者による
中世文学や、世阿弥の能楽などの幽玄の美、千利休の侘び茶の心に影響を及ぼした。

2022(R4)年度

10月4日(火)

「運」 ※( )内は授業担当者

アミダくじの話が、とても好きでした。(そして、)たとえ外れだったとしても、(その後)頑張ることで当たりにできる
というのは良い考え方だと思いました。

授業担当者のコメント:知り合いの保険会社に勤めている女性が、「この本、面白いですよ」と薦めてくれたのが、『運転者』
           という単行本です。タクシ
ーの運転手さんが主人公で、タイトルは、「運」を「転がす(乗せて運ぶ)」
           「者(人間)」という意味だそうです。「運はポイント
カードのように貯めたり、使ったりするもの。
           人に感謝されたり、
人に感謝したりする毎日を生きることで、運というポイントが貯まる。また、自分の
           貯めたポイントは使い切ることができないの
で、自分がこの世を去る時、親しい人達に引き継がれる」
           という
ような内容の小説だとのこと。あなたの「ウルトラ80」を読んだ次の日の出来事で、ステキな
           出会いでした。くじに外れたことも、
「ああ、あの時、外れたからこそ頑張れた。私はとても運がいい」
                と思える人生ってステキだと思います。

「(悪人正機説がよく分からない)」 ※( )内は授業担当者

浄土宗・浄土真宗の考え方が、よく分からなかった。(それは特に、)なぜ一般人を「悪人」とたとえているのかも、よく分から
なかった。

授業担当者のコメント:説明不足でした。ごめんなさい。次のように考えると、理解できるのではないでしょうか。法然や親鸞の
           言う「悪人」とは、イエ
ス(キリスト教)の言う「罪人」と同じような「一般人」であり、その「罪」
           とは全ての人間が生まれつき持っている「原罪」のこ
と。また罪の中身は、人は誰でも自己愛にもとづく
           わがままさ(ジ
コチューさ)を持っていて、「自分さえよければいい」とか「今だけハッピーならいい」
           とか思って生きてしまう面があるという
こと。このこと(人間の罪深さや弱さ)に自覚的な人のことを
           「悪
人」と呼んで、だからこそ阿弥陀仏が慈悲の心で救ってくれる対象として、善人以上にふさわしいと
           考えたのが浄土宗・浄土真宗
の教えなのでしょう。たとえばこんな話があります。動物の命を奪って生活
           していかざるをえない猟師さんが、自分の罪深さを自
覚して熊や狐の霊魂を弔(とむら)うとともに、
           深い祈りを捧げ
ていた。その猟師さんは、動物を殺さずに生きている人達以上に、救われて極楽浄土に
           迎えられる資格があるという話です。「善人
なおもて往生す。いわんや悪人をや」。この言葉に救われる
           人は、
世の中にとても多いと思います。親鸞のもともとの言葉です。

2021(R3)年度

9月24日(金) 3I倫理

「善と悪」 ( )内は授業担当者  

善人にはできるけど悪人にはできないような「差」があるな、と思った。なぜなら、善人は自分の力でできることを、悪人は
自信がなくてできないので、その「差」を埋めるには、(普通に)人として努力していけたらいいと思った。

授業担当者のコメント:私は、「自分で自分のことを善人だと思い込んでいる人」には、「自信がある」という長所よりも「善人ぶり」
           という欠点・弱点
を感じます。きっとそういう人は、他人を見下しているのでしょう。あの「知ったかぶり」
           の職業教師(ソフィスト)達のように。

「(アミダくじ)」 ( )内は授業担当者  

アミダくじは、「南無阿弥陀仏」から来ている事を初めて知りました。(また、)阿弥陀仏の本願にまかせるので「当たりじゃなくても
ハズレなし」って、そういう事だったんだなと知れました。

授業担当者のコメント:今の3年生が1年生の時に行われた文化教室(「夢を叶えるゾウ」)での感動を、思い出しました。どんなに
           つらいことがあっても「運
がいい」と受け止めて、プラス思考のポジティブシンキングで前向きに生きていく
           ことを大切にしたいです。

「他力本願」   

僕はことわざの「他力本願」という意味を、今日の授業を受けるまで勘違いしていた。けれども、本当の意味が分かったので、新しく
使おうと思いました。

授業担当者のコメント:「他力本願」を良い(前向きでポジティブな)意味で使えるようになると、阿弥陀仏も法然さんも親鸞さんも
           喜ぶでしょう。私の
他力本願は、「運命に逆らわず、今、目の前のやるべきことをやる。その結果が成功や
           満足ではなくても、『アミダくじにハズレ
なし』と受け止めて、失敗や不満足を次に活かす」みたいな生き方」
           をすることです。
 

9月27日(月) 3K倫理 

「鎌倉仏教」 ( )内は授業担当者  

先週、丁度ハニベ(の地獄巡り)に行った。(なので、)すごくタイムリーな内容で、自分の見た像(閻魔大王や「針山地獄」、
「血の池地獄」?)などと照らし合わせることができて、仏教を深められた。

授業担当者のコメント:シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)やセレンディピティ(偶然の幸運をつかみ取る力)のような経験
ですね。スゴッ!

「アミダくじ」 ( )内は授業担当者

「当たりじゃなくてもハズレなし」と聴いて、「確かに!」と思った。なので、次からハズレや失敗をしても、前の結果が(いつか
必ず)当たりになるように、つなげていく行動をしたいと思った。

授業担当者のコメント:「失敗は成功のもと」のことわざの「もと」には、次の4つの意味があります。基(基本や土台)・素(要素
           やポイント)・元(原
型や前提)・本(本体や本質)です。ハズレや失敗を、この4つの意味でポジティブに
           受け取ることが、成功や喜びにつながるので
すね。

「善人・悪人」

自分は悪人の考え方も大事だと思う。なぜなら、そう考えられることは、考え方が豊かだから。

授業担当者のコメント:あなたの「ウルトラ80」が、豊かな考えで書かれていますね。物事を多面的・多角的に見て、考えることが
           できていますね。とて
も感心しました。

「えんま(閻魔)」 ( )内は授業担当者

天国と地獄はあると思う。理由は、あって欲しいから。

授業担当者のコメント:なるほど。子どもの頃、親などの大人から「嘘をついたら、えんま様に舌を抜かれるぞ」と注意されて、素直に
           「舌を抜かれたら
嫌だなぁ」と思って「うそはつかないようにしよう」と思っていたことが懐かしいです。
           その意味で、私も「天国と地獄は、あっ
て欲しい」です。

2020(R2)年度

9月18日(金) 3C倫理

「善人・悪人」 ( )内は、授業担当者  

「善人でさえも救ってくれるのだから、悪人はなおさら」というのが分かった。だから、善人(と自分で思い込んでいる人や周りから善人と思われている
人)には、逆に何か足りない所があるのかな、と思った。

授業担当者のコメント:これは深い意見ですね。特に( )内の「自分で自分のことを善人だと思い込んでいる人」には、「善人ぶり」という欠点・弱点
                を感じます。きっとそういう人は、他人を見下しているのでしょう。あの「知ったかぶり」の職業教師(ソフィスト)達のように。

「悪人」 ( )内は、授業担当者  

親鸞の「悪人こそ救われる」という考えは、今まで(登場した哲学や宗教)とは全く違う考え方で驚きました。そして、この考え方の「悪人が深く自覚す
ることで救われる」という言葉を覚えておきたい。

授業担当者のコメント:自分自身の弱さや愚かさを直視できるということは、本当の意味で強くて賢いことかもしれませんね。そして、同じ凡夫(弱者や
                愚者)の一人として、仲間を大事にできるような気がします。

「悪人正機説」   

善人も悪人も救われるって、すごく自分にはない考えだと感じた。しかし、善人も悪人も救われていたら、何でもいいという環境になりそう。

授業担当者のコメント:親鸞は、「薬があるからといって、むやみに毒を飲んではいけない」という言葉を残しています。これは、「悪人の方が救われる
                なら、悪いことをすればするほど救われるのですね」と誤解した弟子や信者の人達に伝えた言葉で、「悪いことをしない努力をし
                た上で、それを自慢せず、それでも無くならない自分の悪を素直に認め、他人の悪を責めないで生き抜くこと」の大切さを語って
                います。

9月23日(水) 3K倫理

「アミダくじ」   

「アミダくじには外れはない」ということが分かった。だから、当たりでなくても外れとは思わずに、それを自分で当たりに変えればいい。

授業担当者のコメント:去年の文化教室(「夢を叶えるゾウ」)での感動を、思い出しました。どんなにつらいことがあっても「運がいい」と受け止めて、
                プラス思考のポジティブシンキングで前向きに生きていくことを大切にしたいです。

「(悪人と罪の自覚)」 ( )内は、授業担当者   

悪人は、自分の罪を自覚しない限り救われないのでしょうか。それに、まず、自分の弱さや罪を自覚した時点で、悪人ではないような気がします。

授業担当者のコメント:倫理ではなく時事研究の授業開きで、私は次のように説明しています。「私の考える『時事力』とは、現代社会で起きている出来
                事を、多面的(+面と−面など)・多角的(日本国内の視点と国際社会の視点など)に見たり、考えたりできる力だと思います」。
                さて、これを倫理に当てはめると、善人と悪人をどのようにとらえる(定義する)かによって、善が「善人ぶり」という悪になり、
                悪が「悪の自覚」という善になるということなのではないでしょうか。これが親鸞の見方・考え方ならば、それが受け入れられな
                くても(それに賛成できなくても)、受け止める(理解する)ことはできるのではないでしょうか。

「(善人こそ)」 ( )内は、授業担当者   

 悪人が救われるべきではないとは思わない。だが、(悪人が)善人よりも救われる(という)のはやはりおかしい。

授業担当者のコメント:上のコメントと同じ考えを、あなたに伝えたいです。

2019(H31→R元)年度

9月17日(火) 3I倫理

「悪人はなおさら。」 ※( )内は、授業担当者

「悪人はなおさら(極楽浄土に往生できる。親鸞の悪人正機説)。」とありますが、救われる悪人もいれば、救われない悪人もいると思います。そして、自分のやった(悪い)
ことに対して後悔する悪人は救われると思います。

授業担当者からのコメント:私、この文章に、少し救われました。ありがとうございます。

「(悪人は地獄行き)」

悪人は救われたらだめだ、と思う。なぜなら、悪人が救われるのなら、人は善人でいる意味がないと思ったから。

授業担当者からのコメント:「善人でいる」ということは、「無理して善いことをしている」ということなのでは? たとえば、「こうしないと、みんなから悪い人と思われる。先生に
                 内申書で悪く書かれる」とか。「こうしないと、極楽に行けない」とか。…それって、一見善に見えても、肝心な「善(よ)さ」がないのでは? 「ふしあ
                 わせなしあわせ」が、一見しあわせに見えても、肝心な「しあわせさ」がないように。


「ある言葉」

今日の授業を受けていて、ある言葉が出てきました。それは「他力本願」です。けれど、少しその意味を考えてみましたが、よくわかりませんでした。それは、他力に身を
任せて願うだけなのか…?

授業担当者からのコメント:「他力」の「他」が「すべての生きとし生けるものを救うことを本願としている」阿弥陀仏なので、その阿弥陀仏と「両想いになろう」ということなの
                では?


9月25日(水) 3K倫理

「親鸞」

今日は、悪人正機説の教えがどんなものかが分かりました。例えば、自らの悪の自覚がなければ仏にすがる心は生まれず、また仏の慈悲による救いがなくては悪人と
しての自己を受け入れることもできないということが分かった。

授業担当者のコメント:「なるほど」と思いました。私の方が、教えてもらいました。