授業bP3 仏教A

T.Q.「ブッダが説いた四諦(説)とは何か?」

T.A. 
人生の真相は苦しみであるとする真理(苦諦)、全ての苦の原因は煩悩であるとする真理(集諦)、苦しみを
滅ぼし尽くした涅槃が目標でるとする真理(滅諦)、苦を滅ぼす手段には八正道しかないとする真理(道諦)。
これら四つの真理を説法のために示した教理が四諦説である。

2022(R4)年度

8月30日(火)

「生きる意味」 ( )内は授業担当者

縁起(えんぎ)という考え方はステキだと思う。なぜなら、「全ては互いに依存し合っている」、「みんなが誰かの
ためになっていてこの世にいる」、「人には生きる意味がある」ということだから。

授業担当者のコメント:「生きることは苦しみ」で「全ての物事は空しい」からこそ、苦しみや空しさの中に
           「ポジティブな意味を発見できる…発見しよ
うと意欲できる」と思います。ブッダの縁起という
           教えには、あ
なたが書いてくれたように「苦しくて空しいからこそ生きる意味がある」と、
           勇気を抱いてこの人生を進んでいくためのヒントが
あるのでしょう。

「苦諦」 ( )内は授業担当者

「生きる事は苦しみだ」とみんな分かっているのに、人は、なぜ生きるのでしょう。(そして、)僕は、「生まれてきた
から生きる。ただそれだけだ」と思います。

授業担当者のコメント:あなたの考え方も、立派な「人生観や価値観についての哲学」だと思います。私はあなたのこの
「ウルトラ80」を読んで、「アンパンマン」の主題歌を思い出しました。

〜♪〜そうだ うれしいんだ 生きるよろこび

   たとえ 胸の傷が いたんでも

   なんのために 生まれて

   なにをして 生きるのか

   こたえられないなんて そんなのは いやだ! 

今を生きることで 熱いこころ燃える

だから 君はいくんだ ほほえんで〜?〜

2021(R3)年度

7月16日(金) 3I倫理

「四諦」 ( )内は授業担当者

四諦の諦は「諦(あきら)める」という意味の言葉だけど、「明らかにする」という意味もある事が深いなぁと思った。
そして、ブッダみたいな医者が増えて欲しいなって思った。

授業担当者のコメント:私は、四諦の中では滅諦(問題が解決したら手に入る喜びを示すこと。その見通し)が好きです。
           なぜならば、未来や将来に不安
を感じている人を安心させることができるからです。希望を与え
                ることができるからです。そういう意味で言えば、お医者さんの仕事と教師の仕事は似ていますね。

「色即是空」 ( )内は授業担当者

「色即是空」は悲しいことだと思っていた。だけど、(空しいからこそ)すべての命(や時間)を大切にしようということ
も入っていたのが、びっくりしました。

授業担当者のコメント:私は、5年前にガン(ステージ4)を宣告され手術を受けて、寺井高校に来ました(4月の後半)。
だから、今生きて仕事がで
きるのは、「まだしなきゃいけないことがあるぞ。出会わなきゃいけない
生徒がいるぞ」ということなんだと思います。この「授
かった持ち時間といのち」を、精一杯生き
抜こうと思います。

「中道」 ( )内は授業担当者

中道(の教え)のように、頑張りすぎることは確かによくないと思いました。でも、だからといって、頑張らないのは違うと
思うので、「努力」すること自体は大切にしようと思いました。

授業担当者のコメント:次のような「ウルトラ80」を書いていた生徒がいたので、紹介します。「私は今まで、努力しても
           結果が出ないことが多くあった。
だから、今日の仏教の授業で工夫が大切だということを知り、こ
                れまでの努力に工夫を加えられるように頑張ろうと思った」。あと、「ユーモア」も加えられたら
           最強でしょう。

9月1日(水) 3K倫理

「四諦について」 ( )内は授業担当者 

僕は、四諦について、すごく論理的だなと思いました。だから、苦諦・集諦・滅諦・道諦(という仏教の考え方)は、みんなの
心の中に生き続けているんだ、と実感しました。

授業担当者のコメント:同感です。ちなみに私は、四諦の中では滅諦(問題が解決したら手に入る喜びを示すこと。その見通し)
           が好きです。なぜなら、
未来や将来に不安を感じている人を安心させることができるからです。希望を
           持ってもらうことができるからです。…そんな授業
ができる先生になりたいです。

〜番外編〜

「煩悩」

煩悩は必要だと思う。煩悩を滅ぼすことは良くない。

授業担当者のコメント:煩悩は普通の欲望ではなくて、「それに執着することで自分自身や周りの人達を不幸にするような特別な
           欲望」のことです。普通
の欲望(食欲・睡眠欲・性欲や、頑張ろうとする意欲など)は、ソクラテスが
           大切にした「よく生きる」ためにも必要だと思います。

「仏教」 ( )内は授業担当者

仏教って、よく聞くけど、結局(仏教が説明している)自分(の在り方・生き方)が何なのか分からん。

授業担当者のコメント:私が小さい頃、仏壇に手を合わせてお経を読んでいる祖母に、次のようなことを言って叱られました。
           「ばあちゃんは、死んだら
自分が極楽浄土に行けるように仏様にお願いしとるんやろ」と言って。
           すると祖母はとても悲しそうな顔をして、「研司、それは
違うんやぞ。お経は、自分の家族とか死んだ
           ご先祖様の心の安ら
ぎとか幸せを仏様にお願いするために読んどるんやぞ」と教えてくれました。
           祖母に教えてもらった、仏教の素晴らしさです。慈
悲の心を大切にして「利他」の精神で生きることが、
           「仏教が説
明する自分の在り方・生き方」なのではないでしょうか。

2020(R2)年度

9月2日(水) 3C倫理

「菩薩」 

自分も他の人のために色んなことができる人になりたいと思った。なので、しっかりとマスクをつけたいと思った。

授業担当者のコメント:なるほど、マスクをするのは「利他」(他者に慈悲の心で接すること。他者を利すること)なんですね。マスクをするのは、「利
                己」(自分を利すること)だけでなく「利他」なんですね。「菩薩の道」でもあるんですね。

「四諦」 ( )内は、授業担当者

私は、道諦(問題解決のための正しい方法・手段)が好きです。(なぜならば、)どれだけ失敗しても必ず正しい道が見つかる気がするので、失敗は
(よい)経験だと思ったからです。

授業担当者のコメント:私は、滅諦(問題が解決したら手に入る喜びを示すこと。その見通し)が好きです。なぜならば、未来や将来に不安を感じている
                人を安心させることができるからです。希望を与えることができるからです。

「(色即是空)」 ( )内は、授業担当者

いつ自分や他人が死んだり亡くなったりするか分からないので、人生は空しい。しかし、だからこそ今与えられた時間といのちを大切にして生きてゆき
たいと思った。

授業担当者のコメント:私は、5年前にガン(ステージ4)を宣告され手術を受けて、寺井高校に来ました(4月の後半)。だから、今生きて仕事がで
きるのは、「まだしなきゃいけないことがあるぞ。出会わなきゃいけない生徒がいるぞ」ということなんだと思います。この「授
かった持ち時間といのち」を、精一杯生き抜こうと思います。

9月2日(火) 3K倫理

「慈悲」 ( )内は、授業担当者 

「(その人と)一緒に悲しんで、その人の苦しみを少しでも取り除く」というのが、何だか良かった。だから、自分もそのようなことができるといいと
思った。

授業担当者のコメント:そうできる人は、そういう経験をした人かもしれませんね。例えば、友達に悩みを聴いてもらって、とても楽になったとか…。

「縁」 ( )内は、授業担当者 

今日の話を聴いて思ったことは、「目には見えないけど縁(ということ)はある」ということだ。だから、その縁をよいものにするために頑張るべきだと
思った。

授業担当者のコメント:「縁をよいものにするために頑張る」というフレーズが、いいなぁと思いました。この「頑張る」も、努力だけでなく工夫も大事
                ですよね。寺井高校との縁を、私は、とてもよいものにしています。

2019(H31→R元)年度

7月10日(水) 3K倫理

「ブッダの中道」

私は今まで、努力しても結果が出ないことが多くあった。だから、今日の仏教の授業で工夫が大切だということを知り、これまでの「努力」に「工夫」を加えられるように
頑張ろうと思った。

授業担当者のコメント:あと、「ユーモア」も加えられたら最強でしょう。

「生きること」

「生きることは苦しみ」ということだが、私の好きな歌手の歌に「生きることが つらいなら 死ねる喜び とっておけ」とあった。なので、頑張って(努力して、工夫して)うま
く生きていきたい。

授業担当者のコメント:「死ねる喜び とっておけ」とは、なかなか深い歌詞ですね。私は、「とっておけ」の部分が大事だと思います。なぜなら、自分が死ぬ瞬間に、満足
              した気持ちで自分の生きてきた人生といのちを振り返ることができるようになりたいからです。後悔しないで死ねることイコール「死ねる喜び」、
              だと思うからです。