番外編 from Y.T(M). 2020/3/23→ 回答など  3/25

> 先日、娘が、学校から合格手記?みたいなの要請されたので、センセーの(世界史の)
サイトの紹介も、紛れ込ませてもらいました。

私のサイト紹介、うれしいです(^_^) 合格手記、可能なら写メなどで、送信プリーズです。

> 「合格手記」(全文)

1. 合格生徒…K.K.

2. 合格した大学・学部など…東京外国語大学 言語文化学部 ロシア語学科

3. 合格した大学・学部などを志望した理由や、受験勉強を通して感じたこと
…私は1年生の時に二外の先生に勧められたことがきっかけで、外大に行きたいと意識する
ようになりました。最初は行けたらいいなくらいの軽い気持ちでいましたが、二外での活動を
通してもっとロシア語を頑張りたいと思ったこと、今まで得意ではない教科も頑張ってきたの
だから、大学は自分の好きなことを学びたいと思ったことを以て、外大を志望するに至りま
した。
 受験勉強を通して感じたことは、学校の勉強は大切だということです。授業はもちろんの
こと、その予習や復習、定期テストや小テストも真面目に取り組めば必ず力になると思いま
す。私は本格的に受験勉強を始めるのがとても遅かったと思います。それでも第一志望校
に合格できたのは、1・2年生の時からの貯蓄があったから、そして3年生になってからも学
校の勉強に真面目に取り組んでいたからだと思います。 普段からの貯蓄は本当に大事
です。また、例えば世界史でも、日本史の問題が出題されるなど、受験で使わない科目の
知識も必要になることがあるため、その意味でも、1・2年生で習った科目の貯蓄が重要に
なります。

4. 受験勉強のアドバイスなど
【英語】
 長文は授業で扱うものや過去問に加えて、「Daily Art」という絵画の紹介アプリをたまに
見ていました。自分の趣味に合わせて探してみるといいと思います。
 「mikan」:アプリです。単語帳が苦手な人におすすめです。
 「システム英単語」:見やすい単語帳。これを主として使っていました。
 「東大英単語熟語鉄壁」:イメージを持って覚えたい人におすすめです。
 また、外大のリスニング対策としては、「TED」や「BBC」、外大の過去問に出てくる「VOA」
や「NPR」、「The Engines of Our Ingenuity」などのサイトのいくつかを聞くのがおすすめです。

【世界史】
 世界史は教科書を何周かするのがおすすめです。私は一周した後点数が伸び始めました。
 用語集と一緒に使うと私大にも役立ちます。
 「世界史B一問一答(東進)」:難しいですが、私大対策にはとてもいいと思います。
 「学研の参考書復習アプリ(世界史)」:問題は東進の一問一答と同じで、4択クイズ式です。
 「歴史ならべ 世界史編」:アプリです。おおまかな時代感覚をつかむのにおすすめです。
 
「研 世界史学習」:サイトです。色んなアプローチ(語呂や語源など)があって
おすすめです。

 私はスマホをよく使うタイプだったので、参考書はあまり買わないでアプリやサイトを使って
勉強していました。また、私は自転車通学だったので、寝る前や家を出る前に覚えたことを
思い出しながら学校に行くなどしていました。自分のスタイルに合わせて勉強方法を工夫する
ことも大切だと思います。
 また、過去問は十何年、数十年分解かなくても、出題傾向を知り、時間配分や解く順番など
の戦略を立て、形式に慣れることができるなら、2・3〜5年分でもいいと思います。復習・戦略
・慣れが大切です。

 最後に。志望校や勉強方法は人それぞれです。焦らずに、自分に合ったスタイルを貫いて
ください。不安もたくさんあると思いますが、応援しています。


スパスィーバ(ロシア語で「ありがとう」)! 「今まで得意ではない教科も頑張ってきたのだから、大学
は自分の好きなことを学びたいと思ったことを以て、外大を志望するに至りました。」や「復習・戦略・
慣れが大切です。」の言葉が、とっても心に来ました。なぜなら、あなた自分が経験してきたことから
くる実感的で独創的なものの見方・考え方がわかりやすく表現されていて、メッチャ読む人に伝わる
パワーを持っていると思うからです。

大学での学びが、今から楽しみですね。ロシア文学やロシアの音楽の「唯一無二」の魅力はもちろん
ですが、ロシア語そのものの歴史(ロシア語が成立する時代背景や歴史的な経緯)も、面白いと思い
ます。

「研 世界史学習」サイトのおすすめ、ありがとうございました。まだまだ、私も発展途上。これからも
サイトを充実させていくので、アクセス(と紹介)よろしくお願いします。

P.S.お願いですが、ここまでのメールの内容を、ホームページの「ネタ」にしてもいいでしょうか?

勤務校の生徒たちにも、読んでもらいたいので。よろしくお願いします。

> はい、お役に立てるのであればよろこんで!

スパスィーバ!

質問 from T.S. 2019/2/6→ 回答  2/17

> お久しぶりです。

ロング・タイム・ノー・シー!

> 某関西の大学に行ったT.S.です。

今年度は、教務課主任。3月の一般入試に向けて頑張っています。
今の2年生の世界史B選択者が、受験の世界史を頑張ってくれています。1月進
研記述模試の偏差値平均が47を越えました! 50越えが3人。S選手ほどのスー
パー生徒は今のところいませんが…(^_^;)

> 最近、科学史の授業を受けている折に近代の分水嶺論争についてちらっと言及
があり、そこから科学革命やルネサンスなどの文化史に興味が湧きまして、現在
バターフィールドやクーンの著書を読んでいる最中です。


おーい、私の蔵書に科学史の書籍コーナーあるし。クーンはもちろん、ジョン=
ヘンリーとか。あと、村上陽一郎と山本義隆。そして中山茂の『20・21世紀科学
史』は、近未来の予測についても述べている! これらの書籍のエッセンスを教
材(パワポとワークシート)化して、今から9年前に、小松高校の理数科のスペ
シャル講座(全6時間。最後の授業が、全国のSSH<スーパーサイエンスハイ
スクール>の研究授業)を担当しました。

> そうして色々考えているなか、確かにバターフィールドの言うようにルネサン
スを近代の分水嶺とするのはヨーロッパ中心的価値観で、世界史を通底する価値
観・出来事にはなり得ないとは思いました。ですが文化に大きな影響を与えたと
いう点で歴史区分となりえる出来事と言えると思います。なので私はそもそもヨー
ロッパと東洋では違う歴史区分があるのではないかと思いました。


私もそう思って、添付ファイル(※リンクページ)のような独自の歴史区分を設定しま
した。実は、S選手の受けた私の授業の構成は、この歴史区分に基づくものだった
のですよ!

> そこで、向出先生に東洋にもルネサンスに値するような文化に変化をもたらし
た出来事があるのか?ということを教えていただきたいと思いメールしました。


> また、東洋中心的観点からの、ヨーロッパとは別の独特な近代の分水嶺となり
うる出来事がありましたら、そちらも教えていただけたら幸いです。


添付ファイルを、「とくとご覧あれ!」(映画「関ヶ原」の石田三成の台詞)。

> 長文な上、高校世界史とはなんら関係ない質問失礼しました。

いえいえ、この上なくよい刺激になりました。
私は、今、スピノザの『エチカ』にはまっています。國分功一郎(哲学者)、ス
ゲーわかり易い!

> 追伸。2月中には高校にお伺いします!

楽しみにしています! 


質問 from さとるひうら  2018/11/1→ 回答  11/2

Q.お世話になっております。

 向出先生は、ニーチェの「深淵をのぞく時、深淵もまた こちらをのぞいているのだ」という名言を

 知っていますでしょうか。

 私はこの言葉の意味がよく理解できません。是非先生の解釈で説明を頂戴したいです。

 よろしくお願いします。

A.1日、考えてみました。

 まず、「深淵」という言葉を和英辞書で調べてみました。

 すると、英語の連語として great danger が二つ目に紹介されていました。

 そこで、こんな風に解釈・説明をしてみます。

 ニーチェの言う深淵とは、乗り越えがたい困難のことであり、

 人はその困難に出会った際に、「ああ、今、私は試されている。この困難を

 乗り越えることで、自分自身を鍛錬できる。困難よ、あなたに感謝する」という

 「試練」として、深淵=困難が私に働きかけるということなのではないでしょうか。

 ニーチェに、「深い所で」再会するよい機会になりました。ありがとうございました。

A.への返信

 質問への回答、ありがとうございます!

 この名言は、困難に感謝するべきというプラスな意味に捉えることもできるのですね!

 向出先生独自の見解が、明快で分かりやすく説明されていて、とても感動しました!!!

 先生の素晴らしい解釈を胸に刻んで、これからの人生で困難が立ちはだかった時、

 この言葉を胸に諦めず頑張ろうと思います。

 本当にありがとうございました!


質問 from T.Y. 2018/8/30→ 回答(同日)

Q.家庭教師で担当している生徒のお姉さんからの質問です。世界史の勉強方法について教えてください。

A.やあやあ。では私の経験則に基づいてお答えします。楽しいー。

 世界史が苦手な生徒には、次の三つのパターンがあると思います。

  一、地理は好きなんだけど、世界史は嫌い。

  二、日本史は好きなんだけど、世界史は嫌い。

  三、とにかく地歴(社会)は嫌い。


 一、の生徒への助言。

  世界史を、「世界」と「史」に分けて考えてみよう。「世界」のサイドは地理なので、

 地理の知識や勉強のノウハウを活用しよう。つまり、地形や気候などの地理的条

 件を踏まえながら、中国史→ヨーロッパ史→イスラーム史→その他の順に勉強し

 よう。その際には、色んな出版社から出ている各国史や地域史の問題集(参考書

 よりも問題集。一問一答よりも構造や流れが把握しやすい空欄穴埋め型のものが
 
 お薦め)を一冊仕上げるとよいでしょう。「山川世界史一問一答」も「マンガ世界の

 歴史がわかる本」も、それと「復習的同時進行」で活用すればよいでしょう。


 二、の生徒への助言。

  世界について考えてみよう。交流(伝播や影響)、衝突(支配や服従)といっ

 た横のつながり(関係史)を意識しながら、やはり一、のように各国史や地域史

 の問題集から始めよう。日本史のように勉強できるから、国家や地域といったそ

 れぞれのステージごとのストーリーを掴むのは楽しいし、効率もよいのでは?


 さていよいよ三、の生徒への助言。

 「わんこそば」学習をお薦めします。つまり、いきなり100杯のわんこそばや

 標高数千メートルのヒマラヤがメニューとして提示されたら、誰だって心が折れ

 てしまいますが、スモールステップの成功体験(100点満点で70点以上ゲッ

 ト!)を積み重ねていけば、気がつくと100杯や数千メートルをクリヤーして

 いるものです。そこでお薦めの勉強方法は…できるだけ薄ーい問題集を、地域や

 テーマごとに自分で100点満点を設定して、一つ一つクリヤーして、その一冊

 を繰り返し覚え直してしまうことです。ほぼ完璧になるまで、他の問題集には手

 を出さないことが肝要です。これって、あの野球のイチロー選手のノウハウなの

 ですよ。

 今日はこの辺りで失礼します。

 また、質問ウェルカムです。

 私のHPは…マニアック過ぎるかな(反省)。

 「歌って覚える世界史」とか「ネンゴロ(懇ろな年号語呂合わせ)」、「ゴロー

 バル(語呂合わせの)世界史」など、ジェネリック(汎用的)なものは使えるカ

 モ…。

 ではでは。             


質問 from I氏  2009/9/18→ 回答(同日)


お変わりござりませぬか。


たった今,要請訪問が終わったところ。

世界史の先生の「ゲルマン民族の移動」でした。


終了後,教務の親分のT先生と,

「これはいったいどうだったんだろう」と疑問を語り合っていたら,

どうしても気になってしようがないことが出てきたので,教えてくだされ。


大移動をした諸民族っていったい何人くらいで動いていたんだろう?

大人数を仕切るシステムをちゃんと持っていた?

生業は?


手の空いたときに宜しく願います。

 
> 大移動をした諸民族っていったい何人くらいで動いていたんだろう?


 大移動の端緒は、西ゴート族が、東ゴート族(フン人に服従)とフン人の西進を恐れ

て黒海地方から南下を開始=これが375年(「『皆来い』と、ゲルマン民族大移動」)、

翌年にドナウ川を渡って、ローマ領内のトラキア(今のブルガリア)地方に移住(これを

ローマ政府が許したこと(「蛮族」は「塞外の民」として長城の内側に入れないという

大原則の崩壊=376年)。

 それに加えて、移住民の西ゴート族が居留地で反乱を起こし(ローマの商人による

「あこぎな振る舞い」がキッカケ!)、東方皇帝(四分統治)を戦死させたこと=378年。


 でも、「大」移動そのものの規模(どれだけの規模の部族が、何部族移動したか)は

クエスチョンです。


 参考までに、アフリカに渡って建国したヴァンダル族は、老若男女合わせて十八万人

だったとのこと。


> 大人数を仕切るシステムをちゃんと持っていた?


 タキトゥスの調査(「自国ローマ政府やその民への警告」のため)によれば、数十の

部族国家(市民 civil の語源キビタスはこれ)が、王や首長・貴族が従士制で結びついた

平民とともに、自由民として、キビタスの重要事項を決定する民会を有してまとまったいた。


> 生業は?


 牧畜を中心に簡単な農業だったが、移動時には後者が中心となっていて、人口増加に

よる深刻な耕地不足が「大移動」の主因。

 あと、ローマから商品経済の刺激を受け(メイド・イン・ローマの製品への嗜好)、

徐々に社会変化(2世紀後半には、伝統的な部族が解体し、王の性格も、軍隊の指揮

者としての才能が重視され、信仰の対象も戦争の神オーディン<水曜日=ウェンズ

デーの語源>が中心に)。


> 手の空いたときに宜しく願います。


 今日は早起きしたので、以上、調べてみました。「大移動」の引き金になったのは、

フン人による圧迫ですが、原因は、人口増加と社会変化(牧畜中心から農業中心へ)

による耕地の不足という点も大事でしょう。


ではでは。                  


質問 from K 桂  2008/12/3・7→ 回答  12/7・9


Q:先生、再び質問してもよいですか??


A:押忍!


Q:イギリス議会についてなのですが、「シモン=ド=モンフォールの議会は、身分制議

  会と言うのかどうか?」です。


A:身分制議会の定義が、「都市の代表(市民)を加えた(それまでも、貴族・聖職者

  によるものが存在したことに留意)諮問機関(君主の諮問に答申するもの)」なの

  で、答はイエス。


Q:身分制議会は、「英の模範議会をトップに各国で成立」と用語集にあります。とい

  うことは、シモンの議会は、市民代表も参加しているから形は身分制議会だけど、ま

  だ正式ではない、というような理解でよいのでしょうか。


A:模範議会になると、「正式」というより、「形式が整ったもの(典型)」と理解し

  ましょう。ちなみに、この模範議会で初めて、貴族・聖職者による議会(貴族院=上

  院のルーツ)と、州代表(騎士)・都市代表(市民)による議会(庶民院=下院の

  ルーツ)が別々に会合したので、後(14世紀中頃)の二院制議会成立の基礎となりま

  した。


Q:イギリス議会の起源はシモンの議会、イギリス身分制議会の起源はエドワード1世

  の模範議会、となるのでしょうか。となると、両者の違い、身分制議会の定義は何な 

  のでしょうか。なぜシモンの議会を身分制議会の起源と言えないのか、わからないの

  で解説をお願いしてもいいですか?


A:先に答えた通りです。
 

Q:お答えありがとうございます。まだ疑問が残るので、再質問してもよいですか??


A: Why not ?


Q:気になるのは用語集の記述です。たしかに、市民代表も参加したためシモンの議会

  は身分制議会となるのですが、用語集で身分制議会の起源とないのはなぜなのでしょ

  うか。ここまでくると「起源」の定義が問題になってきますが。最初の身分制議会は

  シモンの議会、形式が整った最初の身分制議会は模範議会、ということで、用語集で

  は起源を模範議会としているということですか。


A:きっと、受験レベルではどちらも正解(または、出題の意図が不明確)でしょう。

  そして、学問レベル(?)では以下のようにいえるのでは?

  すなわち、「近代」民主政治の二本柱が立憲政治と議会政治であり、後者の「近代

  性」は、「近代」市民社会の主役である「近代的な」市民(「前近代」においては、

  市政に参加した都市住民。「近代」においては、都市の枠を越えて平等な市民権<→

  国民権>を有するとともにそれに伴う義務や責任を負う社会的人格)が担うという点

  にあるということ。よって、「市民代表の初参加」をもって、議会(イギリスのもの

  だけでなく)の起源とするのではないでしょうか。
 

Q:「イギリス初の身分制議会は?」と問われた場合、どちらが正解ですか?


A:最新(?)の山川出版社の用語集(2004年3月25日第1版第1刷発行)にも、「イギリ

  ス議会の起源」という項目があって、1265年に召集された「シモン=ド=モンフォール

  の議会」を挙げています。



質問 from K 桂  2008/11/18

※一部、説明的に改変



 エンコミエンダ制、アシエンダ制、プランテーションについてです。


 プランテーションは「ラテンアメリカではアシエンダ制として普及した」、とありますが、

これはプランテーションにアシエンダ制が含まれるという意味で、前者が一般名称で後者が

固有名称ということですか。「ラテンアメリカで広まった大農園制」と問われた場合、プランテ

ーションではバツですか?


 また、アシエンダ制の説明に「土地制度」「大農園制」とあります。エンコミエンダ制の

場合、「先住民のキリスト教徒化を条件に」という、スペイン国王と植民者の関係が

出てきますが、アシエンダ制では連れてこられた黒人奴隷だからスペイン国王との

関係はないのでしょうか。インディオと奴隷の違いだけではなくて、エンコミエンダ制

は政治的、アシエンダ制は経済的という見方でいいのでしょうか。


回答  2008/11/26


 まずは意味や語源を紹介します。


 エンコミエンダ制 Encomienda (スペイン語)

 …「委託」。

  cf. en 「〜の中へ」と強意の com とラテン語の mandare 「委託する」( manus 「手」

  と dare 「与える」から)で成り立つ。語尾の変化は、ラテン語動詞 mandare の受動

  態の動名詞 mandus 「委託すべき」の女性形が manda であることから?

   英語の mandate 「指令、委託」や commend 、 recommend 「委託する」と同系。


 アシエンダ制 hacienda (スペイン語)

 …「なされるべき事々」。

  cf. スペイン語の意味は、「住宅付きの農場」や「農場内にある母屋」。

   ラテン語動詞の facere 「行う」に由来し、語尾の変化は、受動態の動名詞 facendus

   「行うべき」の女性形が facenda であることから?

   ポルトガル語のファゼンダ。   

   本来、アシエンダもファゼンダも農場とは限らず、牧場や鉱山、工場など(特にその

  所有者がそこに住んでいるもの)や、その2つ以上の「事々」を兼業したもの。


 プランテーション: Plantation (英語)

 …「大農園」。

  cf. 英語の plant 「作物」「植物」から。


 プランテーションが一般名称で、アシエンダ(やファゼンダ)が固有名称です。

 ただし、ラテンアメリカの旧スペイン領ではアシエンダ、旧ポルトガル領ではファ

ゼンダと考えましょう。
 

 スペイン国王との関係は、徐々に薄くなるようです。「委託」から「(プランテーション

の経営者が大農場や大牧場に住みつつ)なされるべき事々」へと。政治色よりも、経

済色が濃くなる関係といえそうですね。

 労働力としては、インディオ(ネイティブの人々。賃金労働者)と黒人奴隷の両方で

した。もちろん、現在は賃金労働者のみ。
 

 エンコミエンダ制とアシエンダ制の違いをまとめます。 エンコミエンダ制においては、

農場(鉱山や工場も)の所有者やインディオの支配者は、国王から委託された総督

(国王が任命)ですが、その所有権についてはスペイン国王にあります。それが、

アシエンダ制になると(もちろんプランテーションも)は、入植者が所有権も有するの

です。


質問 from Y 翔太  2008/10/9 → 回答  10/11


Q.資料集見ていて思ったのですが、フランスにおけるドレフェス事件は、人権同盟対

 フランス祖国同盟となっていますが、軍部や教会が介入しユダヤ人排斥を行った点で、

 民族浄化を企てた一種のファシズムではないんでしょうか?


A.なるほど。ファシズム=全体主義。「ユダヤ人(ユダヤ教徒)」を差別することによ

 る、「フランス人(フランス文化の共有者)」全体の団結。身近な例では、「誰かを

 いじめることで、いじめる側がまとまる」ということ。それが「対独復讐心」を煽り

 立てる軍部に悪用されたのでしょう。「広義のファシズム」ということで。

  さて、上の文章の「フランス」と「独」を入れ替えたら、第二次大戦前のドイツ(ナチ

 ズムというファシズム)の状況になることに気が付きます。なかなか目の付け所が良い

 ですよ。

  でも、「民族浄化」(1990年代のユーゴスラヴィア内戦で広く知られるようになったと

 思われるエスニック・クレンジングの訳語)の言葉は、ここでは強過ぎるかもしれません。

 なぜなら、そこには「対立する民族の、女性に対する性的な暴力」のニュアンスが含まれて
 いるからです。


質問 from Y 翔太  2008/6/10 → 回答  6/11


Q.さっそく質問あるんですが。 何でゲルマン人はアリウス派を信奉してるんか分か

 りません。


A.キリスト教化する以前の古いゲルマン人社会では、「自然崇拝の多神教」

 という信仰が行われていたことを思い起こしてください。そうすれば、イエスの人性

 (人間としての性質)を強調するアリウス派の考え方が、そのような信仰の在り方と

 併存できることに気が付くでしょう。

  ちなみに、同じく「自然崇拝の多神教」的な我が国のキリスト教受容(室町時代の末

 期から江戸時代)にも、似たような面があったらしいです。


Q.あと、単性論をめぐる争いが何故起こったかよく分からないんですが。 お願いしま

 す。


A.まず、単性説の定義から。「イエスの人性は、彼が人間として生まれた時だけに認

 められるものに過ぎなくて、その後は人性は神性(イエスの神としての性質)に吸収

 される」。よって、アリウス派が人性を強調して異端にされたのに対して、この単性

 説は神性を強調して異端にされたということが分かります。

  さて、単性説をめぐる争いですが、これはエジプトが、当時エジプトを支配していた

 ビザンツ帝国から自立(→独立をめざす。19世紀前半のムハンマド=アリーとトルコ

 の関係を想起しましょう)するための統一原理(団結やチームワークを高めるための

 仲間意識)として単性説に政治的な利用価値を認めたからです。

  つまり、図式化すると「ビザンツ帝国=ギリシア正教 vs 属州(B.C.30年、クレオパト

 ラ自殺以来!)エジプト=キリスト教単性説」ということです。


質問 from こばゆう  2008/5/10
 

 世界史でひっかかる所があったので、質問したくてメールしました。イギリスの議

会政治のとこなんですが、新教徒のメアリとウィレムがイギリス王位についたとあ

ります。新教ってカルヴァン派ですか? 国教徒ですか? 細かい事なんですが、

教えていただけないでしょうか?


回答  2008/5/10


 オランダ総督ウィレム(イギリス王ウィリアム3世)はカルヴァン派で、メアリ2世が

国教会の「新教徒夫妻」。でも妻のメアリ没後、彼女を悼んで(それまでの彼女に対

する「冷淡な態度」の罪滅ぼし?)国教会に改宗(メアリ2世を愛したイギリス国民に

対する人気取り?)しています。質問に答えるための調査で、私も知らなかった二人

の「夫婦のドラマ」が少し見えてきました。ありがとう!


質問 from I氏  2007/1/29


 「東南アジア」について,今ちょうどチャンパーだとかパガンだとかってやってる

んだけど、 このあたりってモンスーンの影響などで、水稲栽培には超最適な地で

ありながら、なぜ独自の文明が成立せず、インドや中国のおこぼれをもらうような

形で発展しなくてはならなかったんだろか。


回答  2007/1/29


 さっそくお尋ねの件(東南アジアに独自の文明が成立しなかったとされる理由)

ですが、以下のように考えられるのでは。


@ 食べ物が簡単に手に入りすぎて、金属器や国家形成や文字(いわゆる「文明の三

 要素」)が発達しなかった。

   これは「常夏の国」に見られるパターンと同じでしょう。


A 「三要素」中の特に国家形成について、複雑すぎる民族構成(雲南・チベット地方

 から繰り返された民族移動)がそれを妨げた。


B 主に島嶼部(半島や諸島)では、先行した中華・インド両文明が、海上交易(こ

 れは中継貿易中心なので自立的な地域産業の発達を阻害。近世オランダの限界

 のパターンでしょう)を通してこの地に重層的文化を形成(主体的な摂取・発展は

 あったが< ex.アンコール遺跡>)したこと。

  これは我らが日本列島の歴史(独自の文明が成立したとはいえない?)と少し

 ばかり共通しますね。


 注:ざっくりと理解するなら、東南アジアにおける中国文化圏(漢字、儒・仏・道教)

   はベトナム北部に限定。

   なお、シュリーヴィジャヤ王国やシャイレーンドラ朝の大乗仏教は、インドから

   直接スマトラ島やジャワ島に伝播したもの。


 つらつらと考えながら書き連ねました。「文明の三要素」に立ち返り、「常夏の国

の幸福な停滞」に目配せしながら説明できるとよいのではないでしょうか?



質問 from K 桂  2005/12/6


 キプチャク=ハン国のイスラム化について質問です。

それまでのキエフ公国、自立後のモスクワ大公国ではギリシャ正教。ということは

モンゴル支配層による上からのイスラム化なのでしょうか?

 「モンゴルの支配(タタールのくびき)は間接的であった」と用語集にありますが、

イスラム化が進んだのはなぜ?

 イル=ハン国、チャガタイ=ハン国のイスラム化は地理的に納得できるのですが。

私の、「ロシア=ギリシャ正教」という印象が強すぎるだけ? また、イスラム化とい

う言葉のとらえ方の問題? 

 時間のある時にお答え願います!


回答  2005/12/6


 これは、 例えば「プトレマイオス朝エジプトは何人の国?」と問われて、「支配層で

言えばギリシア人の国。メンバー(国民とは言えない)の人数の多さで言えばエジプト

人の国」と答えざるを得ないクエスチョンと同じです。

 つまり、キプチャク=ハン国のイスラーム化とは、支配層のモンゴル人がイスラーム

信者になったということです。

 ちなみに、同じモンゴル系イスラーム国のイル=ハン国の場合、「場所が場所だけ

に」全盛期のガザン=ハンの時、宰相ラシード=ウッディーンの献策もあってイスラー

ム化どころか、イスラーム教を国教化(国を挙げてのイスラーム化。ただし、スンナ派

とかシーア派とかに限定せず。これはモンゴルらしい柔軟策と言えるでしょう)してい

るので、よい比較対象になります。


返事と追加質問


 プトレマイオス朝、確かにそうですね。支配者と被支配者、地理と宗教、民族と宗教、

いろいろですね。モンゴル人は宗教に傾きやすいのでしょうか?? 

 回答ありがとうございました。


追加質問への回答


 モンゴル人は何事にも執着しすぎることなく、合理的な考えで国家運営を行ったと

思います。宗教ですら統治の手段として利用したのでしょう。

 司馬遼太郎の『草原の記』には、そんなモンゴル人の魅力的な民族性について多く

の示唆に富む指摘があったように思います。あー、また読みたくなってしまう!



 
質問 from M 誠  2005/11/7 


 中国史に関して、前漢の皇帝家劉氏から外戚の王モウが帝位を奪って新をたて

ます。でもそれはすぐにつぶれてまた劉氏に帝位が戻り、漢王朝を再興し、これ

以後は後漢と呼びます。

 では唐の時代、睿宗を廃した則天武后が皇帝に即位して国号を周として、則天

武后の死後また中宗が即位した時に唐に戻りますが、この場合は周を境に前唐、

後唐とは呼ばないのばなぜですか?

 王莽と則天武后では外戚と皇后で立場が違うからでしょうか?

 ちょうど今唐をやっていて、すごく疑問です。お忙しいところ申し訳ありませんが、

教えていただければと思います。


回答  2005/11/7


 お答えします。

 簡単に説明すると、新の場合、「漢の復興」を旗印にした劉秀らによって王モウが

殺されていて、周の場合、年老いて病んだ則天武后が政権を息子(中宗)に戻して

いるという違いによるもの。前者が「断絶」なら、後者は「連続」ということになります。

 さらに、「西から東」とか、「北から南」(必ずこの方向。なぜなら西方や北方の異

民族からの圧迫が背景)、さらに「前から後」というネーミングは、後世の歴史家が

便宜的に用いた用語で、歴史書として前漢は『漢書』、後漢は『後漢書』となってい

ることに注目。唐は『旧唐書』と『新唐書』がありますが、これは文字通り内容の相

違に基づいたネーミングの違いですね。

 あと遷都に注目すると、漢では前漢は長安で後漢が洛陽であるのに対し、唐では

周の前後も長安から都を遷していないことにも気がつきます。



 
質問 from K 桂  2005/7/18


 中世の神学、哲学について質問です。教科書のアンセルムスのところに「プラトン・

イデア論」と書き込んでありました。これは影響を受けたということなのか、似ている

ということなのか、どちらですか? 

 また、トマス・アクィナスのスコラ哲学についてですが、映画「薔薇の名前」では、

「異端の禁書であるアリストテレスの著作」とあります。異端であったものをキリスト

教思想にとり入れるということが、よくわかりません。十字軍の影響? ルネサンス

以前の中世ヨーロッパにとってのギリシャ哲学とは?


回答  2005/7/18


 では、項目毎にお答えします。

 T.Q.

 中世の神学、哲学について質問です。教科書のアンセルムスのところに「プラトン・

イデア論」と書き込んでありました。これは影響を受けたということなのか、似ている

ということなのか、どちらですか?


 T.A.

 前者です。「理解せんがために信仰せよ」は有名なアンセルムスの台詞ですが、

信仰(彼岸の理想世界)を優先させ、理性(此岸の理性世界)を後回しにしている点

に、それが出ています。


 T.Q.

 また、トマス・アクィナスのスコラ哲学についてですが、映画「薔薇の名前」では、

「異端の禁書であるアリストテレスの著作」とあります。異端であったものをキリス

ト教思想にとり入れるということが、よくわかりません。十字軍の影響? ルネサン

ス以前の中世ヨーロッパにとってのギリシャ哲学とは?


 T.A.

 理想主義哲学のプラトンと現実主義哲学のアリストテレスの対比が、中世キリスト

教世界がそれぞれの思想とどう関わったかを示しています。

 これも前者が彼岸、後者が此岸となりますね。スコラ哲学の発展の頃は、商業ルネサ

ンスの11世紀を時代背景にしていて、それまでの神や教会中心の考え方ではミス

マッチになってきました。経済活動や十字軍・レコンキスタなどの軍事活動に見られ

る活発なエネルギーを肯定した新しい神学(スコラ哲学も神学の一つ)が求められる

中での思潮なので、アリストテレス的な考え方も、全否定できなくなってきたので

す。

 ちなみに、今の山川の教科書には、「12世紀ルネサンス」という文化史上の歴史用

語が太字で出ています。中世ヨーロッパを単純に「暗黒時代」と捉えてしまわないよう

にとの考えでしょう。うーん、歴史はいつでも新しい!




質問 from HNミノむし  2004/2/04


「歴史はつながりで覚える」というのが持論なので、高校時代あまりにもあっちこっちに

飛ぶ世界史に辟易してしまった、HNミノむしです。
 
さて、質問ですが。
 
世界史と言っておきながら実際にはヨーロッパ史と中国史という世界史の矛盾について、どう

考えてますか?


回答  2004/2/04


 はじめまして。


 世界史そのものを問い直す質問ですね。

 貼付ファイル(☆)で私の「世界史観」をモデル化したものを紹介しますので、それを参考にし

て下さい。

 ポイントは以下の通りです。
 

 世界史の三本柱を「欧米史」「西・中央・南・東南アジア史(中間期<600年前後〜1900年前

後>にはイスラム世界とほぼ重なる)」「東アジア史(中国文化圏の及んだ地域とほぼ重なるの

で単に中国史とする場合もある)」とし、文字通り世界の「中央」に位置して東西交渉の舞台と

なり、近代ネットワーク帝国の雛形になったアッバース朝のイスラム帝国やモンゴル帝国が成

立する、「西・中央・南・東南アジア史」の重要性を強調する。


 ☆ 以下、添付ファイル

   
  地域区分と時代区分の考え方
 
横軸=地域
縦軸=時代
 WEST(西方)  CENTER(中央)  EAST(東方)
 NEW
 (近現代)
 WN(西方近現代)
 …欧米
 CN(中央近現代)
 …イスラームA・インド
 EN(東方近現代)
 …中国B
 移行期  1800年前後  1900年前後  1900年前後
 MIDLLE
 (中間)
 WM(西方中間)
 …中世・近世西欧
 CM(中央中間)
 …イスラーム@
 EM(東方中間)
 …中国A
 移行期  500年前後  600年前後  400年前後
 OLD
 (古代)
 WO(西方古代)
 …オリエントと地中海
 CM(中央古代)
 …イラン・インド
 EO(東方古代)
 …中国@
 
※ 横軸の地域区分については、ユーラシア大陸を地理上の世界の中心とした。


※ 縦軸の時代区分と移行期の考え方・根拠ついては以下の通り。


 西方世界での古代から中間期への移行期は、

476年の西ローマ帝国滅亡・481年のクローヴィスによるフランク王国の建国を2大エポック

とする。


 中央世界での古代から中間期への移行期は、

610年のムハンマドによるイスラームの成立・647年のハルシャ=ヴァルダナ王の死による

インド統一瓦解を。


 東方世界での古代から中間期への移行期は、

439年の鮮卑族王朝北魏による華北統一で北朝(中国史の南北朝時代)が始まったことを。


 西方世界での中間期から近現代への移行期は、

18世紀後半のイギリスにおける産業革命の本格化・1776年のアメリカ独立宣言・1789年の

フランス革命勃発を。


 中央世界・東方世界での中間期から近現代への移行期は、

1898年のイギリス領香港の完成に象徴されるように、欧米による植民地支配が世界に行き

渡る時期とした。
 

 ☆ ここまで添付ファイル


 「歴史はつながりで覚える」には私も大いに賛同します。その際に、時間の流れに沿ったつな

がり(「タテの世界史」ですね)とは別に、民族や文化圏・国家などの地域を越えたつながり(「ヨ

コの世界史」ですね)を理解して、世界史を立体的に捉えることが大切だと思っています。

 ヨーロッパ中心史観は、明治時代からの「文明開化イコール欧米化」とする急ぎすぎた近代化

や、第2次世界大戦の敗戦による極端なアメリカ化の弊害でしょう。かといって、中国中心史観

などの「反ヨーロッパ中心史観」でも困ります。
 

 文化相対主義の考え方(文化間に優劣の差はないという見方)や時代価値説(私が勝手に作

った造語ですが、それぞれの時代毎にそれぞれの価値があるという見方)に立ちつつ、普遍主

義(人権思想や民主主義、平和主義などには絶対的な価値を認めるという見方)や進歩史観

(歴史は段階を踏んで進歩するという見方)にも心を配ることのできる世界史の授業者でありた

いと思っています。

 
 あと、この時代にグローバルな課題となっている、地球環境保護の問題や持続可能な社会を


どのように構築するのかといった問題については、世界史を学ぶことでヒントが見つかるのでは

ないでしょうか。いや、ヒントより大切なのは、この世界を愛おしむ感情や想像力だと思います。

時間的にも空間的にも、美しいことも醜いことも、正しいことも間違ったことも全てひっくるめて、

この人類の、そして人類と地球(環境、自然、神?)の「お付き合い」の来し方や今現在の在り様

を知ること、知って理解すること、理解して考えることがそのために有効な手段であると

信じています。
 

質問 from S 美智子  2003/11/04


「第二次世界大戦後にアジア・アフリカ諸国が独立した」と教科書に書いてありました。しかし、

その独立後に軍部クーデタや独裁政治が起こったのはなぜですか?


回答  2003/11/09


 まずは、アジア・アフリカの両者に共通する理由を中心に、整理して説明します。

 経済とそれに起因する政治面では、次のようにいえるのではないでしょうか。


 「先進」工業諸国(いわゆる南北問題の「北」の国)にとっての原料供給地としての役割

を期待(強要?)され、農業や鉱業中心の経済体制を取らざるを得ないこと。

 しかし、農業や鉱業の技術力には限界があり、飢餓や疫病の問題が加わって、経済面

において常に不安定な状態となる。

 そこに、強権政治としての独裁が、軍部のクーデタが主な引き金となって生まれてくる。


 次に、アジアに顕著な面について。

 アジア諸国は、中国やソ連といった社会主義諸国に隣接するため、政府は政治運動や

社会運動を強権的に抑圧するパターンが多かったこと。また、経済的な近代化を急いで、

「開発独裁」と呼ばれる体制が登場したことに注目。代表は、韓国の朴正熙政権やインド

ネシアのスハルト政権でしょう。先日政治の表舞台から去った(国際政治ではまだまだ大

きな役割を果たしそうですが…)マレーシアのマハティール政権にも一部当てはまるかな。


 そして、アフリカ諸国。

 新興独立国は、その地域を植民地としていた宗主国の利益中心に開発(つまり、単なる

食糧・鉱産資源等の供給地としての開発)されてきたことが、独立後の経済的自立の妨げ

になったこと。具体的には、交通網などのインフラストラクチャー(社会資本)や水道・電気

などの基本的な生活基盤、医療・教育などの社会基盤の不整備があげられますね。そうい

ったことからくる不安定さに加えて、部族主義の対立(これを煽って、アフリカ人同士を対立

させたのがアフリカにおける植民地支配の悪辣なところ。ローマやイギリスが得意にした、

例の「分割統治」ですね)が内戦やクーデタ、そして独裁、虐殺の背景になっています。


 最後に、東西冷戦(1950年代のデタント<緊張緩和>期を経て、60年代半ばから後期冷

戦に突入)での、東西両陣営のアジア・アフリカにおける「陣取り合戦」も背景として良いでし

ょう。


 とても、大事なところに関心があって、頼もしい質問でした。

 では、もうしばらくの受験勉強、そしてその後の社会勉強をしっかりね。



質問 from ジョン  2003/04/20



 はじめまして。突然メールを差し上げる無礼をお許しください。


 「シオニズム」についてお伺いしたいことがあります。


 「シオニズム」とは、「パレスチナの地にユダヤ人国家を建設しようという運動」で

あると習いました。

 では、その「シオニズム」とは、いつ生まれた運動なのか?というのが質問です。


 帝国主義時代のフランスにおいて、「ドレフュス事件」が発生しました。この事件が

「シオニズム運動」の契機であると聞いたことがあります。それ以前は、「シオニズ

ム」という運動は、全くなかったのかそれとも、存在したがそれ程活発ではなかった

ということなのでしょうか?


 ハンドルネームでも構いませんか?ジョンと申します。聖ジョン説のJohn(Prester

John)から拝借しました。

 大航海時代、イスラム勢力に対抗するため手を結ぼうと作り出された想像上の人物だ

そうです。この種の伝説は他にも多数存在したとか、、、


 お時間のある時にお返事くださると大変嬉しいです。

回答


 お答えします。
 

 ユダヤ人の建国運動は、西暦70年のローマ帝国によってユダヤ人の共同体が

滅ぼされた時から存在しましたが、パレスチナに安住の国を建設しようとする運動

の具体化はヘルツル(1860〜1904)によるシオニスト団の結成(1897)以後です。

 彼とドレフュス事件との関係は、彼がオーストリアのジャーナリストで、新聞記者

としてパリ滞在中に起きた、フランスのユダヤ人大尉ドレフュスに対するスパイ容疑

と終身刑の判決に大きなショックを受けたことに由来します。ジャーナリスト魂もさ

ることながら、彼自身がブダペスト生まれのユダヤ人であったことが強い動機に

なっていることは勿論です。

 実現に向かうのは、第一次大戦中の有名なイギリスの「二枚舌外交」1917年の

バルフォア宣言からと言えるでしょう。


 <おまけ>

「われらはバビロンの川のほとりに座り、シオンを思い出して涙を流した。(中略)

『われらにシオンの歌を一つうたえ』(以下省略)」


 この史料は何に掲載されたどのようなものか分かりますか?

 答えは『旧約聖書』詩篇第137篇の「バビロン捕囚」です。

 シオン Zion とは、イェルサレム近郊の丘の名称、またはイェルサレム市そのもの

を象徴的に示す呼び名であることがこの史料からも分かります。

 どんな国家にも「建国神話」的なエピソードがあります。というか、そのメンバー

を「国民」たらしめるための求心力として必要とされています。イスラエル建国にも

『旧約聖書』以来の「建国神話」が重要な意味をもったのです。


お礼 from ジョン


 「シオニズム運動」とは、古くはローマの時代から存在し、ドレフュス事件以後、具体

化されていったということですね。


 1948年、イスラエルが建国され、世界中に散らばっていたユダヤ人がパレスチナを

目指し、移動を始めました。『日本人とユダヤ人』には、彼らは「風の翼に乗って、約束

の地に帰る」と言って、大量移動に驚いたイスラエル政府によって手配された飛行機

に乗ってイスラエルの地に戻ってきた(やってきた)と書かれていました。


 ユダヤ人が、「約束の地」としてパレスチナを神聖視する、また聖域視するのは、『旧

約聖書』に由来するということなのでしょうか?


 ご丁寧に質問にお答えいたただき、ありがとうございました。



質問 from 真  2003/03/31



高3の真といいます。

馬鹿馬鹿しい質問かもしれませんが、ウンマって正式に「国家」にはいりますか?

回答  


前略。


 ウンマは「イスラム(これからはイスラーム?)共同体」とか「イスラム教団」を意味しています。

つまり、ムハンマドが西暦622年にメッカからヤスリブ(→メディナに改称)に逃れて力を蓄えた

「聖遷(ヒジュラ)」により、それまでの布教者の立場から立法者の立場として信徒に臨んだこと

から成立したと言えます。

 さて、ウンマの終わりですが、ムハンマド死後の正統カリフ時代の2代ウマルの下に初期教団

国家がシリア・エジプト(ビザンツ帝国から)、メソポタミア・イランを領土としつつそれらの統治方

法の採用と異教徒・異民族の支配を始めたことにより、発展的に解消したといえるでしょう。


 つまり、ウンマとは前述のウマルの時代まで続いた、領域国家とも呼べず、ましてや主権国家

とは呼べない、あくまで「教団中心の共同体」の色彩が強い社会組織であると言えるでしょう。

 いい質問ですよ。理解のコツは、現在の国家がどのようなもの(領域国家や主権国家)である

か考えてみて、それとの違いに気がつくことです。

質問 from 「ちゅうや」  2002/09/08


唐突ですが、T.Q.「日露warとロシア第一次revo.との関係とは?」

のときのロシア社会主義革命についての話で

「資本主義の矛盾が大きくなって、いくところまでいったら、その時社会主義が台頭する」

みたいなことを言っていましたが、その時に疑問に思った事は、
 

もし資本主義がずっと矛盾しなければ社会主義は起こらないということだから、結果的に社会

主義はいらない理論、必要の無い理論だと言う悪い意味で取ればいいのか、それとも資本主

義の矛盾を克服した、つまり、より矛盾の少ない完璧な理論だという良い意味で取ればいいの

か、ということです。
 

個人的には前者を初めに思い浮かべました、それは大体の国が資本主義だったからと、社会

主義が嫌いだったからです。そして後者はよく文章の内容を考えているうちに思いついた事で

すが、ありえない事だと思います。
 

この二つの考え方しか浮かびませんでしたが上の傍線部は結局どういう意味なんですか?


回答  2002/09/09


現役高校生からの訪問者第二号、ハンドルネーム「ちゅうや」氏の質問にお答えします。

で、「ちゅうや」って何? バス停横の本屋さん?


いい問いかけですね。こういう質問が来ると燃えてしまいます。で、できるだけ冷静に返事した

いと思います。


まず、マルクス主義の思想を復習する必要があります。マルクスは、経済的に遅れたロシアや

ましてや典型的な「東方専制国家」であった中国が共産化するとは思わなかったはずです。

なぜなら、その唯物史観によれば、古代奴隷制社会にせよ中世封建制社会にせよ、生産関係

(奴隷主と奴隷、領主と農奴)にある両者の力関係の矛盾、つまり、社会階層的には下位に置か

れた奴隷や農奴が、コロヌスや商工業者(ブルジョワ)として力を高めると、上位であった奴隷主

や領主が相対的に力を弱めるという状況が、社会の成熟に伴って必然的に起こるとしたからで

す。我が国でいえば、幕末の武士と商工業者の関係がそれでしょう。フランス革命なら…いわず

もがなでしょう。


どうですか? 中世封建制社会から近代資本主義社会への変化をマルクス主義に従って考え

れば、近代資本主義社会からポスト近代社会主義・共産主義社会への移行も理解できるのでは? 

もちろん、急いでただし書きを加えますが、僕もマルクス主義の全体主義は否定します。ここでは、

一つの理解の方法としてマルクス主義を使ってみただけですよ。


でも、社会思想って好き嫌いではないですよ。トランプのポーカーでいったら、手札の一つとして

もっていてもいいのではないでしょうか? マルクス主義も。自分の社会観を鍛えるために。

質問 from I 勤  2002/08/23


どうして、中国はほかの地域と比べて法則性のはっきりしている歴史なんですか?
いい歴史書とか歴史を大切にする地域なのに、なぜ歴史から学んで、法則性を打破しなか

ったのですか?


回答  2002/08/31


現役高校生からの訪問者第一号、I 勤くんの質問に「応えて」返事します。


実に根本的な質問です。質問者の知的好奇心の高さがうかがえますね。

まず、前半への僕の考えですが、地理的な条件として中国が四方を大海や、砂漠・山脈に

よって囲まれた「閉じたるつぼ」であることが注目されます。それは、イスラム勢力侵入以前

のエジプト(古王国から新王国)やインド(マウリヤ朝からヴァルダナ朝)にも当てはまる面が

あるでしょう。前王朝を否定するために、一つ前の王朝を真似るという法則性ですね。自らが

正統であることの強調もあるでしょう。


次に後半。参考図書としては、『歴史とは何か』(岡田 英弘著 文春新書刊)が挙げられま

す。前半の最後に述べた「正統の強調」の部分ですね。司馬遷の『史記』や班固の『漢書』

をモデルとした中国の歴代王朝を描いた「正史」は、中国の現実の姿ではなく、理想の姿を

描いているにすぎないという岡田氏の主張が重要なヒントになるでしょう。プラス、朱子学が

大義名分論を強調することによって決定的に根付いた中華思想という極端な中国中心主義

によって、他国や他民族の歴史を認めないことも「謙虚に自他の歴史に学べ」なかった要因

と言えるのではないでしょうか。真に歴史を学ぶことは、その国や民族、そして個人を謙虚に

すると同時に、夏目漱石の言う「上っ滑り」でもなく「ひいきの引き倒し」でもない自意識=

アイデンティティを確立させる力を持つのでは?


質問 from こばゆう  2002/01/08


M・Tに世界史についての質問!ルターの宗教改革の所なんですけど、ルターがザクセン

選帝侯にかくまわれた時、『新約聖書』のドイツ語訳を完成させたとあります。その時の

『新約聖書』って、ギリシア語で書かれてあったということですが、でも、『新約聖書』って

ラテン語で書かれているのが、一般的なのでは?と疑問を感じています。ぜひぜひ、その

事について、おわかりであれば、教えてくださいませ。


回答  2002/01/09


メール訪問者第一号のこばゆうさんの質問にお答えします。


まず、ルターはルネサンス人であることを押さえておきましょう。なんとなれば、彼らの心性

は古典に原書で親しむということだから。そして、『新約聖書』の原書がヘレニズム期の

「国際語」であったコイネ(ギリシア語の一方言)で書かれているということと考え合わせれ

ば説明がつくのではないでしょうか。


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