2019(H31→R元)年度

授業№37 ヘーゲルの哲学、功利主義(ベンサム・ミル)

T.Q.「ベンサムとミルの功利主義の違いとは?」

T.A.
ベンサムは量的功利主義を主張し「最大多数の最大幸福」と説いた。また、外的制裁により利己的な快楽追求は禁止した。ミルは質的功利主義を主張し、精神的快楽を重視した。また、内的制裁が上位であるとし、良心やイエスの黄金律を強調してベンサムの功利主義を完成させた。

12月18日(水) 3K倫理

「正・反・合」 ※( )内は授業担当者

国家のために何かしろと言われ、それが負担になって家庭(や市民社会)が崩れていくと、(家族と市民社会の「いいとこ取り」<家族愛と市民社会の独立心を結合>して成立させた国家の)意味がなくなると思います。なので、他にも良い案を考えて皆が納得できるようにして欲しいです。

授業担当者からのコメント:ヘーゲルが人倫の最高段階と考えた国家とは、理想の国家な
のでしょう。現実の国家は…課題が多いですね。

「ヘーゲルの弁証法」 ※( )内は授業担当者

私は、ヘーゲルの弁証法(の考え方)が好きだ。なぜなら、(2つのテーゼ)正と反がぶつかった時に、どちらかをあきらめるのではなく、両方を使ってより良いものにするという考え方は、一番大事だと思うからだ。

授業担当者からのコメント:「今が大事」と「将来が大事」がぶつかった時に、「今も将来も大事なので、今を充実させるための将来の目標を立て、その将来の目標を達成するための今を充実させる」と思えば、心が楽になって頑張れるかも…。現在+未来=「現来」(私の造った言葉です)が大事!

「ミル」 ※( )内は授業担当者

(ベンサムのように)ただ快楽を得て喜ぶのではなく、(その快楽の)質を重視するというミルの考えは良いと思った。なぜなら、自分が得をするためだけ(や快楽を得るためだけ)で犯罪(行為)をしてしまう人をよくニュースで見るので、ミルのような考えを持って生きていきたい。

授業担当者からのコメント:同じイギリスの功利主義哲学者ですが、量を重視するベンサムと質を重視するミルの考え方の違いが、よく分かりました。

2020(令和2)年 1月7日(火) 3I倫理

「ヘーゲル」

この世界は、アンチがいるから成り立っているのかなと思いました。なぜなら、アンチがいるからこそ間違いなどに気づいて、良い方に発展していくと思うからです。

授業担当者からのコメント:…ノーコメントです。あなたはヘーゲルの哲学を、完璧に理解しています。ヘーゲルさんに、この論述を読ませたいです。マジで。嬉しいだろうなぁ~、ヘーゲルさん。良かったね~、ヘーゲルさん。

「人それぞれ」 ※( )内は授業担当者

自分が幸福だと思うのは、人それぞれ。価値(のランクづけ)なんて必要ないと思います。なぜなら、その人に価値(のランク)をつけているみたいで、「何様のつもりなんだ」とイラッとくるからです。

授業担当者からのコメント:ベンサムの量的快楽を重視する功利主義と、それを修正したミルの質的快楽を重視する功利主義の両方への反論(ヘーゲルの弁証法で言うと「アンチテーゼ」)ですね。でも、「価値のランクづけ」は本当に必要ないでしょうか? 価値にランク付けをせずに、何でも相対的・主観的に考えてしまったら、古代ギリシアの中心的な都市国家アテネのソフィスト(「職業教師」)の失敗を繰り返すことにならないでしょうか? 普遍的・客観的な真理(価値)を追究したソクラテスを、「若者をたぶらかす罪人」として殺すことになるのでは? ソクラテスが言った「よく生きる」は、金持ちになることや権力者になることを否定していませんでしたよね。人間的(道徳的)に生きた結果としての富や権力を否定していませんでしたよね。富や権力を手に入れることそれ自体を目的にした生き方(魂への配慮が不足した「うまく生きる」という生き方)を否定したのが、ソクラテスでしたよね。そしてイエス=キリストは、どうだったでしょうか? パスカルは? カントは? ソクラテスやパスカルやカントのことを、「何様!?」と突き放して「イラッとさせるヤツら」などと切り捨てるのではなく、検討する価値のある仮説(ヘーゲルの弁証法で言うと「テーゼ」)と受け取って考えてみましょう。私もそうして、今の今まで生きて来ました。これからも…。

「快楽と弁証法!。」 ※( )内は授業担当者

ベンサムが重視した「快楽の量」もいいけど、ミルが重視した「快楽の質」もいい。(なぜならば、)これらを、弁証法を使って量と質の両方を重視(いいとこどり=止揚)できれば(全てが)良くなると思うから。

授業担当者からのコメント:今日の授業の内容(前半はヘーゲルの哲学、後半はベンサムとミルの功利主義哲学)を「コンプリート」した論述です。素晴らしい!