No.51
T.Q.「小ピピンと教皇、それぞれの下心とは?」
A フランク王国
(1)
[1 ]の王朝( 481〜751)
1 初代
[2 ]
_統一。原住地を保有し、ローマ=カトリック教会と結ぶ
←496、アタナシウス派に改宗(アリウス派から) ∴ゲルマン的要素とカトリック的要素が結合
2 6C前半、ブルグンド王国を征服
3 分割相続→内乱
4
宮宰[3 ]_
[4 ](732)で
ウマイヤ朝に○
行・財政長官→8Cには王以上に 711、西ゴート王国を滅
(2)
[5 ]( 751〜)
初代
[6 ](カール=マルテルの子で宮宰)←教皇の支持で即位
_756、
[7 ]を討ち、
ラヴェンナ地方(北伊)を教皇に寄進
[8 ](今はヴァチカン市国の国土のみ)のルーツ
∴ますます、ゲルマン的要素とカトリック的要素が結合
B カトリック教会の成立
(1) 制度 cf.
[9 ]=
[10 ]、
イェルサレム・アンティオキア・アレクサンドリア、
ペテロ・パウロ殉教の地 7C〜、イスラーム勢力の支配下
[11 ]
395〜、東ローマ(7C、ギリシア化 ∴ビザンツ)帝国の都
1
[12 ](法王)…ローマ教会の司教
a
レオ1世(5C半)_ローマ教会の首位を主張
ラテン語で「獅子」
b グレゴリウス1世(6C末)_(正式の)初代。ゲルマン人に布教
2 司教制
教皇
聖職者 大司教
司教
信者 司祭(神父)
(2)
[13 ]の発生←世俗化(聖職者の領主化・妻帯etc.)への反省
…6C、
モンテ=カシノ修道院(伊中部) by
[14 ]
会則=「祈り、働け」。徳目=服従・清貧・貞潔
(3) 教会の東西分裂
… ローマ vs コンスタンティノープル
(教皇) (総主教 but 実権はビザンツ皇帝)
∵726、
[15 ] by ビザンツ(東ローマ)皇帝
[16 ]←イスラーム教(偶像厳禁)の effect
but ローマではゲルマンへの布教に必要 ギリシア語で「獅子」
( cf. 751、カロリング朝承認 by 教皇 ∵教会の後ろ盾が欲しい)
→11C、相互に破門
∴今の、[
17 ]と
[18 ](東方教会)に分裂
No.51. Ans.
1. メロヴィング家 2. クローヴィス 3. カール=マルテル
4. トゥール・ポワティエ間の戦い 5. カロリング朝 6. 小ピピン 7. ロンバルド族
8. ローマ教皇領 9. 五本山 10. ローマの教会 11. コンスタンティノープルの教会
12. 教皇 13. 修道院 14. ベネディクトゥス 15. 聖像禁止令 16. レオン3世
17. ローマ=カトリック教会 18. ギリシア正教会
プリント目次のページに戻る T.A.はこちら