No.147. 多極化期(後期冷戦期)

① ユーゴスラヴィアの首都ベオグラードで、米国やソ連の軍事ブロックに属さないこと
 や国内に外国軍基地を置かないことを決議した非同盟諸国会議は、何年に開催されたか。

② 「南」の途上国の要求を受けて、「北」の先進国に有利な世界経済を途上国にも配慮
 した仕組みに改善するための会議である国連貿易開発会議(UNCTAD)が、国連に設置され
 たのは、何年の出来事か。 

③ 前年の思想闘争を基盤として開始された、中国で毛沢東が権力の座に返り咲くために
 主導した、極端な共産主義化を進める(プロレタリア)文化大革命は、何年から何年までの出来
 事か。東側にソ連以外の極として中国が立ち上がったことを象徴(多極化のホッ プ)。毛の死と
 四人組逮捕で終結。

④ フランスのド=ゴール大統領が、米国に対する独自路線として西側の軍事ブロックで
 あるNATOの軍事委員会から脱退したのは、何年の出来事か。

⑤ イギリスの加入によってヨーロッパの統合が促進された拡大ECが成立したのは、何
 年の出来事か。

⑥ ベトナム戦争で財政が破綻した米国が、金とドルの交換を停止(ドル=ショック、ニ
 クソン=ショック)したのは、何年の出来事か。2年後に、第二次世界大戦後のドルを基軸とした国際通貨
 体制であるブレトン=ウッズ体制(1944年のブレトン=ウッズ会議で成立)が崩壊。

⑦ フランスのパリ郊外ランブイエで、第1回主要先進国首脳会議(サミット)が開催され、「奇
 跡の復興」を果たした日と西独も参加したのは、何年の出来事か。西側に経済大国、日
 ・西独という極が立ち上がったことを象徴(多極化のステップ)。

⑧ ポーランドで戒厳令(1981年から、「連帯」を非合法化していたもの)が解除され、ワレサ議長率いる自主
 管理労組「連帯」が合法化された国はどこか。東欧民主化の先駆けと言える。

⑨ ゴルバチョフがソ連共産党書記長として登場し、ペレストロイカで自由化・民主化を
 始めたのは何年か。東側のリーダーであるソ連が、民主化する東欧という極を認め始め
 たことを象徴(多極化のジャンプ)。

⑩ フルシチョフが突然解任されて、新たに「後期冷戦の立て役者」と言えるブレジネフ
 がソ連の最高指導者になったのは、何年の出来事か。その死は1982年。

⑪ 後期冷戦期の「熱い戦争」の一つベトナム戦争は、何年から何年までの出来事か。米
 国の敗北・撤退で終わる。2年後にサイゴンが陥落。その翌年ベトナム統一。

⑫ ソ連軍を中心としたワルシャワ条約機構軍がチェコスロヴァキアに侵入、全土を占領
 して「プラハの春」と呼ばれた自由化をつぶしたのは、何年の出来事か。

⑬ 親ソ派のクーデタを支援して、ソ連軍が全土を制圧したアフガニスタン侵攻は、何年
 から何年までの出来事か。ブレジネフが始めて、ゴルバチョフが撤退。「ソ連にとって
 のベトナム戦争」と評価される。

⑭ 米国がソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、モスクワオリンピックをボイコットし
 たのは何年か。

⑮ 「強いアメリカ」を掲げ、共和党のレーガンが大統領に就任したのは何年か。

⑯ 12月に共和党ブッシュ米大統領とソ連ゴルバチョフ大統領が、冷戦の終結を宣言した
 マルタ会談は何年に開催されたか。東西冷戦の戦後国際秩序、ヤルタ体制の崩壊を象徴。


① 1961年(「非同盟諸国のクルリと米ソに背を向けて、ベオグラードで会議」)

② 1964年(「途上国の苦労して、国連貿易開発会議のUNCTAD設置」)

③ 1966年(「中国の人国、『ムム』っと、文革の嵐へ」)
~76年(「『南無南無』と、毛 沢東死去で文革終了」)

④ 1966年(「フランスの人国、『ムム』っと、NATO軍事委員会脱退」)

⑤ 1973年(「人国悲惨な戦争史に幕、イギリスの加入で拡大EC」)

⑥ 1971年(「人国泣いて金ドル交換停止の、ドル=ショック」)

⑦ 1975年(「人国く続くサミットに、日・西独が第1回目から参加」)

⑧ 1983年(「人国破産の強権政治、ポーランドで戒厳令解除)

⑨ 1985年(「人国っとGO!、ゴルバチョフ登場」)

⑩ 1964年(「人国無事に済まない、フルシチョフ解任」)

⑪ 1965年(「ひどくくて」)
~73年(「悲惨な、ベトナム戦争」)

⑫ 1968年(「ひどくりつぶした、『プラハの春』」)

⑬ 1979年(「ひどく泣く」)
~88年(「ワーワーと、アフガニスタン侵攻」)

⑭ 1980年(「ひどく、五輪の輪を破る、モスクワ五輪ボイコット」)

⑮ 1981年(「ひどくハイテンションの、レーガン登場」)

⑯ 1989年(「人国束、マルタ会談で、冷戦終結」)

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