No.143. 第二次世界大戦(後半)
① 第二次世界大戦のアジア戦線の一つとなる日中戦争は、すでに何年から始まっていたか。
② 日中戦争中、満州国とモンゴル人民共和国の国境付近で起きた国境紛争で、日本の関
東軍がソ連・モンゴル軍の機械化部隊に完敗したノモンハン事件は、何年の出来事か。
同年の独ソ不可侵条約の3カ月前。
③ 南進のために北からの脅威を無くしたい日本と、ドイツのバルカン半島進出に備えた
ソ連の間に結ばれた、相互不可侵・中立維持などを約束した日ソ中立条約は何年に締結
されたか。わずか2カ月後の6月に、独ソ戦開始。
④ 日本(北部仏印進駐)と独(第二次世界大戦開戦1周年)・伊(枢軸国側に参戦)との間で
結ばれた、米国を仮想敵国 としている三国同盟は何年の9月に成立したか。6月にイタリア
参戦、フランス降伏。
⑤ 12月8日、日本が米・英を攻撃、その直後に宣戦して太平洋戦争(米国での呼称)が始まった
のは、何年の出来事か。独・伊も米国に宣戦。
⑥ 6月、日本が米国に大敗した、第二次世界大戦のアジア戦線での転換点となったミッドウェー
海戦は、何年の出来事か。
⑦ 第二次世界大戦中の連合国による会談で、1月、米・英がシチリア上陸作戦について
話し合ったカサブランカ会談は、何年の出来事か。7月、米・英軍がシチリア上陸作戦
を成功させ、この月の内にムッソリーニが失脚。南イタリアに成立したバドリオ首相の
イタリア新政権が、無条件降伏。11月、米・英と中国の蔣 介石が対日処理(朝鮮の独立など)に
ついて話し合ったカイロ会談。11~12月、米・英とソ連のスターリンが、第2戦線とソ連の
対日参戦について話し合ったテヘラン会談。
⑧ 前年のテヘラン会談に基づき、6月、米・英軍中心の連合軍による北フランスでのノ
ルマンディー上陸作戦が成功し、8月のレジスタンス組織の蜂起によるパリ解放を実現
したのは、何年の出来事か。
⑨ 第二次世界大戦中の連合国による会談で、2月、米・英・ソが対独処理(ドイツの4国管理など)
やソ連の対日参戦の時期について話し合ったヤルタ会談は、何年の出来事か。5月2日、
ソ連軍が東欧諸国を「解放(ここではドイツ支配からの解放だけでなく、「共産化」の意味も)」しつつ、
ドイツ領内に進入し、首都ベルリンを陥落させドイツを無条件降伏させる。7月、米・英・ソが対日
降伏勧告などについて話し合ったポツダム会談。8月6日、ヒロシマに史上初の原爆投下。
8月9日、「冷戦の先制パンチ」として、ナガサキにも原爆投下。8月15日、日本 が降伏して、
第二次世界大戦が終結。
① 1937年(「いくさ長引く、蘆溝橋事件から、日中戦争」)
② 1939年(「いくさ苦しい、日本がソ連に大敗、ノモンハン事件」)
③ 1941年(「人国良いと思って、日ソ中立条約」)
④ 1940年(「人国寄れる、日独伊三国同盟」)
⑤ 1941年(「行くよ勇んで、対米・英・蘭の太平洋戦争開始」)
⑥ 1942年(「一挙に崩れた、日本の勢い、ミッドウェー海戦」)
⑦ 1943年(「いくよ3回、傘貸して、カサブランカ・カイロ・テヘラン会談」)
⑧ 1944年(「行く手、死屍累々の、ノルマンディー上陸作戦」)
⑨ 1945年(「行く、死越えて、第2次世界大戦終結」)