No.138. 中国の孫文、インドのガンディー
① 1919年の五・四運動を文化・思想的に準備した文学革命は、1917年からの白話運動を
中心とした中国の新文化であるが、仕掛け人である陳 独秀が『新青年』を刊行してそ
れをスタートさせたのは、何年の出来事か。二十一カ条の要求を契機に早稲田大学を中
退し、上海で創刊している。
② 第一次世界大戦後のパリ講和会議での民族自決の原則に期待したが、二十一カ条廃棄
の要求が拒否され、北京大学生を中心に起こったヴェルサイユ講和条約調印拒否の動き
から反帝国主義・反封建主義の五・四運動が全国化したのは、何年の出来事か。
③ 陳 独秀を初代委員長として組織された、労働者・貧農を革命の主体とするマルクス
主義政党の中国共産党が上海に成立したのは、何年の出来事か。
④ コミンテルン(レーニンは1月に死去したが、まだネップ時代で資本主義に柔軟な時期)の
方針で、共産党員が国民党に入党する形での国民党と共産党の提携、第1次国共合作が
中国に成立したのは、何年の出来事か。
⑤ 「革命いまだならず」の遺言を残して、孫文が死去したのは何年か。この年、全国的
な反帝国主義に発展した五・三○事件が起こり、広東(広州)に国民政府が成立。
⑥ 蔣 介石をリーダーとした国民革命軍が、北京の軍閥政権や北方の軍閥を打倒する反
封建主義を旗印に、中国統一を目指した北伐は、何年から何年までの出来事か。
⑦ 蔣 介石が北伐途上に上海(北伐軍による占領後、共産党の勢力が強くなっていた)で
強行した反共クーデタである上海クーデタは、何年の出来事か。その直後、国民政府は
広東から南京へ移った。
⑧ イギリスが第一次世界大戦後の自治の約束を無視した、反英運動に対する弾圧法規で
あるローラット法を制定するとともに、それへの抗議集会に英軍が発砲した、西北イン
ドのシク教の聖地で起きたアムリットサルの虐殺は何年の出来事か。
⑨ ラホールでの国民会議大会で、インドの完全独立(プールナ=スワラージ)が採択されたが、
それは何年の出来事か。
⑩ イギリスがインド独立運動の指導者をロンドンに招き、懐柔して急進化を抑えようと
した英印円卓会議は何年から開催されたか。
⑪ イギリスがインドに連邦制と各州の自治のみを認めることにより、独立運動の懐柔を
図った1935年インド統治法は、何年に制定されたか。
⑫ オランダの支配下に、アジア初の共産党であるインドネシア共産党が結成されたのは
何年か。
① 1915年(「行く人合格、『新青年』刊行で、文学革命スタート」)
② 1919年(「行く、行く、反帝掲げた、五・四運動」)
③ 1921年(「いい国人に、中国共産党結成」)
④ 1924年(「いい国にしよう、第1次国共合作」)
⑤ 1925年(「この人、国の礎作って薨じた、孫文死去」) ※薨(こう)ずる…身分の高い人が死ぬこと
⑥ 1926年(「行く。フームと考えて」)
~28年(「ニヤッと、北伐だ」)
⑦ 1927年(「行く、ニヒルな蔣 介石の、上海クーデタ」)
⑧ 1919年(「行く、行く、反英掲げた、インド人ナショナリズム」)
⑨ 1929年(「行く、憎いイギリス倒して、完全独立へ」)
⑩ 1930年(「ひどく猿知恵、英印円卓会議」)
⑪ 1935年(「ひどく見事に懐柔、新たなインド統治法)