No.137. 戦間期の伊とファシズム
@ 第一次世界大戦後、共産主義を恐れたブルジョワや地主・カトリックの支持を受けて、
元社会党員で除名されたムッソリーニがファシスト党を結成したのは、何年の出来事か。
A ムッソリーニとファシスト党が、クーデタの「ローマ進軍」で、国王の支持を受けて
内閣を作り、世界初のファシズム政権を成立させたのは、何年の出来事か。
B ムッソリーニがアルバニアを保護国化することで人気を高めるとともに、他政党を解
散させてファシズム大評議会を唯一の最高議決機関にすることによって、ファシスト党
の一党独裁を実現したのは何年か。
C ムッソリーニがローマ教皇と、1870年以来の対立関係を解消したラテラン条約を結ん
だのは何年か。これによって、現在のヴァチカン市国が教皇領として成立。
D 第一次世界大戦中、日本が中国の袁世凱政府に対し、旧ドイツ権益・中国東北部南部
とモンゴルでの独占的地位や中国の内政への干渉権など内容とする二十一カ条要求を押
しつけこれを受諾させたのは、何年の出来事か。
E 第一次世界大戦後のパリ講和会議での民族自決の原則に期待して、ソウルで独立宣言
が発表され「朝鮮独立万歳」を叫ぶ三・一運動(万歳事件)が全国化したのは、何年の出来事
か。
F 大正デモクラシーの成果と政府の民衆運動への「アメ」として、日本で初めて男子普
通選挙法が制定されるとともに、政府の労働・社会主義運動への「アメ」として、ソ連
を承認。同時に「ムチ」として、言論・思想弾圧法規である治安維持法を制定したのは
全て何年の出来事か。
@ 1919年(「行く、行く、ファシスト党結成」)
A 1922年(「行く、フンフンと「ローマ進軍」で、ムッソリーニ内閣」)
B 1926年(「行く、踏む、アルバニアを。そしてファシスト党一党独裁へ」)
C 1929年(「ひどく憎まれる、ファシズムと結んだローマ教皇。」)
D 1915年(「中国の人国以後狙われる、二十一カ条要求」)
E 1919年(「行く、行く、独立目指した、三・一運動」)
F 1925年(「人国これで承認、日もソ連承認」)