No.136. 戦間期の独とナチス台頭
@ ドイツ革命後に召集された国民議会が、当時世界で最も民主的と評価されたヴァイマ
ル憲法を制定したのは、何年の出来事か。
A ドイツが米資本を導入することと、支払方法・期限を緩和する内容の新賠償方式であ
るドーズ案は、何年に成立したか。
B 賠償金額を358億金マルクに削減した新賠償方式であるヤング案は、何年に成立した
か。同年、世界恐慌が始まり無意味になった。
C 共和党のフーヴァー米大統領が、ドイツ救済のため、賠償金の支払いを1カ年猶予し
たが効果がなかったフーヴァー=モラトリアムは、何年に行われたか。
D 賠償金額を30億金マルクに削減した国際会議のローザンヌ会議は、何年に開催された
か。翌年、ヒトラー内閣ができると賠償金は踏み倒された。
E ナチスの前身である、右翼的で大衆活動を中心とした政党のドイツ労働者党が結成さ
れたのは何年か。ヒトラーは自称「七人目の党員」。
F ナチスは何年の選挙で、第1党になったか。ただし、この時は組閣できず野党。
G ナチスが党首ヒトラーを首相として内閣を組織したのは、何年の出来事か。その年の
内に、国会放火事件で共産党を非合法化し、全権委任法を制定してヴァイマル憲法の停
止とナチスの一党独裁を「民主的に」実現している。また、日本にならい国連脱退。
H ヒンデンブルク大統領の死により、ヒトラーが首相兼大統領の地位である総統に就任
したのは、何年の出来事か。
I ナチス=ドイツが、ザール地方を住民投票の結果併合し、再軍備宣言を行って義務兵
役制の復活などを決めたのは何年の出来事か。ヴェルサイユ体制の崩壊期の始まり。
J ナチス=ドイツが、ヴェルサイユ条約の内容履行を約束したロカルノ条約を破ったこ
とを意味するラインラント進駐を行ったのは、何年の出来事か。
@ 1919年(「一句一句吟味されて、ヴァイマル憲法制定」)
A 1924年(「賠償ひどく、日誌どーぞと、ドーズ案」)
B 1929年(「賠償ひどく、肉焼く、ヤング案」)
C 1931年(「賠償ひどく、財布もらう、フーヴァー=モラトリアム」)
D 1932年(「賠償ひどく、身にローズ、ローザンヌ会議」) ※ローズ=バラの花
E 1919年(「行く、行く、ナチスの前身、ドイツ労働者党結成」)
F 1932年(「一目散に第一党」)
G 1933年(「行く、さんさんと輝く、ヒトラー内閣とナチス一党独裁」)
H 1934年(「いくさしたい、ヒトラー総統就任」)
I 1935年(「いくさGO、ナチス=ドイツの再軍備宣言」)
J 1936年(「いくさに向かう、ナチス=ドイツのラインラント進駐」)