No.134. 戦間期の米と世界恐慌
@ 共和党ハーディング米大統領が開催した国際会議で、軍縮問題や国際協調などを討議
したワシントン会議は何年から何年まで行われたか。これに基づくワシントン体制が、
第一次世界大戦後のアジア・太平洋域の国際秩序で、米国の主体と日本の孤立化に基づ
いた戦後体制であり、世界恐慌後の軍国日本の挑戦によって崩壊した。
A 補助艦の軍縮が実現したロンドン会議は、27年のジュネーブ会議と同様、仏・伊が不
参加だったが、それは何年に開催されたか。日本では、軍部・右翼が反発し軍国主義化
の始まりとなった。
B 第一次世界大戦後に結ばれたヨーロッパにおける集団安全保障条約で、ラインラント
の非武装化やヨーロッパの現状維持を定め、仏・ベルギー軍のルール撤兵を実現したロ
カルノ条約は、ヨーロッパを戦後混乱期から相対的安定期に向かわせたが、それは何年
に成立したか。
C フランスのブリアン外相と米国のケロッグ国務長官の提唱で、「国際紛争の解決は武
力によらない」ことを定めた不戦条約は何年に成立したか。戦間期における相対的安定
を象徴するが、第二次世界大戦を防止できなかった。
D 米国ニューヨークのウォール街にある株式取引所の株価暴落に始まり、世界中の資本
主義諸国を大不況が襲った世界恐慌は、何年の出来事か。ヴェルサイユ体制の動揺期の
始まり。
E 恐慌対策に無為無策の共和党フーヴァーに替わって、民主党のフランクリン=ローズ
ヴェルトが大統領に就任し、経済活動の自由放任を抑え、国家的統制を加えるなど、社
会主義を一部導入する「修正資本主義」経済であるニューディール政策の実施を開始し
たのは何年の出来事か。
@ 1921年(「人国一つ目の条約」)
〜1922年(「人国二つ目の条約」)
A 1930年(「一挙に制限される、補助艦も、ロンドン会議で」)
B 1925年(「いい国ここに、ロカルノ条約」)
C 1928年(「いい国晴れて、不戦条約」)
D 1929年(「ひどくパニック、世界恐慌」)
E 1933年(「人国さんざんな状況から、立ち直るべくニューディール」)