No.129. 「ヨーロッパの火薬庫」バルカン

@ 第一次世界大戦でのドイツを中心とした陣営である三国同盟は何年に成立したか。

A ビスマルクが辞職させられて、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が親政を開始したのは何
 年か。

B イギリスが、東アジアでのロシア南下に対抗するために、「光栄ある孤立」を捨て
 て結んだ日英同盟は、何年に成立したか。

C 英仏協商は、日露戦争勃発直後の何年に成立したか。

D 英露協商は、イラン立憲革命中の何年に成立したか。
E 第1次モロッコ事件は、独皇帝ヴィルヘルム2世がタンジール港に上陸したため、タ
 ンジール事件とも呼ばれるが、それは何年の出来事か。

F 第2次モロッコ事件は、独海軍がアガディール港に上陸したため、アガディール事件
 とも呼ばれるが、それは何年の出来事か。この結果、モロッコの大部分はフランスの保
 護国となり、一部はスペインの保護国となった。

G ギリシアのサロニカで青年トルコ党員の将校が挙兵し、トルコ(オスマン帝国)の政権を握っ
 て憲法と議会政治を復活させた青年トルコ革命による混乱を契機に、オーストリアがボスニア・
 ヘルツェゴヴィナを併合したのは、何年の出来事か。トルコ領で、セルビア人が多く住んでいた
 地域で、1878年のベルリン条約以来、オーストリアが統治権を握っていた。

H パン=スラヴ主義を背景とした第1次バルカン戦争は、何年から何年の出来事か。ト
 ルコが敗戦国で、戦後ますますドイツと結ぶ。

I 第2次バルカン戦争は、何年から何年の出来事か。ブルガリアが敗戦国で、戦後は、
 スラヴ系の国であるにもかかわらず、ドイツと結ぶ。


@ 1882年(「イタリアは、三国同盟の一派やね」)

A 1890年(「ドイツの人は狂い始めて、ビスマルク辞職」)

B 1902年(「イギリ本の、日英同盟」)

C 1904年(「英仏の人協商、英仏協商」)

D 1907年(「一苦労な、日仏・日露・英露の提携、日仏協約・日露協約・英露協商」)

E 1905年(「く怒ったヴィルヘルム2世、タンジール港に上陸」)

F 1911年(「く人々騒がせた、アガディール事件」)

G 1908年(「オーストリアの人、行く俺は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合」)

H 1912〜13年(「行く人にイザ、第1次バルカン戦争」)

I 1913年(「行くイザ、第2次バルカン戦争」))

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