No.128. インド・東南アジア・西アジアの民族運動
@ イギリスは、インドの民族主義運動を温和で親英的なものにするため、ヒンドゥー教
徒を中心に富裕な地主・民族資本家・知識人らにインド国民会議派を組織させたが、第
1回インド国民会議がボンベイで開かれたのは何年か。
A イギリスは、反英的な急進派による民族主義運動を分断するため、インド人の間のヒ
ンドゥー教とイスラーム教の宗教対立を利用するベンガル分割令を発布したが、それは何
年か。
B ベンガル分割令への全インド的反対運動を受けて、国民会議派のカルカッタ大会が開
催され、インド独立のための4綱領(英貨排斥・国産品愛用<スワデーシ>・自治<ス
ワラージ>・民族教育)が打ち出さ れたのは何年か。
C イギリスは、ベンガル分割令への全インド的反対運動と民族主義の盛り上がりに対し
て、イスラーム教徒のインド人を支援して親英・反国民会議派の全インド=ムスリム連
盟を組織させることにより民族運動を分断したが、それは何年か。
D 日露戦争での日本の勝利に励まされて、ギリシアのサロニカで青年トルコ党員の将校
が挙兵し政権を握った青年トルコ革命が起こったのは何年か。これによって、1878年以
来停止されていたミドハト憲法が復活した。
E 日露戦争での日本の勝利に励まされてイラン民衆が起こした、英・露の進出とこれに
従属するカージャール朝政府に対するイラン立憲革命は何年から何年までの出来事か。
@ 1885年(「インドの人は歯がゆい、ボンベイ大会で第1回国民会議」)
A 1905年(「人狂ったこんな悪法、ベンガル分割令」)
B 1906年(イギリス人、ひどく驚く、カルカッタ大会」)
C 1906年(「ひどく、俺ムスリム、全インド=ムスリム連盟結成」)
D 1908年(「トルコの人、行く俺は共和政に)
E 1905年(「イランの人国興す立憲革命」)
〜1911年(「ひどく人々悔しい、シャーと英・露に鎮圧」)