No.126. 日露戦争と韓国併合
@ 義和団事件での共同出兵で最大兵力を出した日本が、ともにロシアの南下を警戒する
イギリスと結んだ日英同盟は、何年に成立したか。イギリスはこれによって、「光栄あ
る孤立」を捨てた。
A 日露戦争は何年から何年まで続いたか。
B 敗北続きの日露戦争中、首都ペテルブルクの民衆が皇帝に「生活改善と平和」を請願
したが、近衛(このえ)軍隊が発砲して多くの犠牲者を出した血の日曜日事件に始まる、ロシア第
1次革命は何年の出来事か。
C 日露戦争後、ロシアから賠償金を得られなかった日本が、戦債を賄うためにフランス
から融資を受けて提携した日仏協約、仏の仲介で日本とロシアが提携した日露協約、イ
ギリスとロシアがドイツを共通の敵とし、イラン分割などをめぐって同盟関係を結んだ
英露協商は、全て何年に成立したか。
D 日露戦争の前半に日本は韓国に日本人顧問を置いて政治に関与したが、この第1次日
韓協約は何年に結ばれたか。
E 日露戦争終戦直後に日本は韓国に統監を置いて保護国化したが、この第2次日韓協約
は何年に結ばれたか。
F 同年のハーグ密使事件を契機に、日本は統監に韓国の政治の全権を掌握させたが、こ
の第3次日韓協約は何年に結ばれたか。
G 日本が韓国併合を行い、朝鮮支配の最高機関である朝鮮総督を置いたのは何年か。
@ 1902年(「イギリス日本の、日英同盟」)
A 1904〜05年(「人国ロシアを懲らしめる、日露戦争」)
B 1905年(「血の日曜日に、ひどく怒って、第1次ロシア革命」)
C 1907年(「一苦労な、日仏・日露・英露の提携」)
D 1904年(「ひどく押し込む、第1次日韓協約」)
E 1905年(「ひどく傲る、第2次日韓協約」)
F 1907年(「ひどく冷淡な、第3次日韓協約」)
G 1910年(「人国とうとう奪った、韓国併合」)