No.124. アフリカ・大洋州の分割
① フランス人技師レセップスによって、スエズ運河が完成したのは何年か。
② イギリスの保守党首相ディズレーリが、エジプトの財政難につけ込んで、国際スエズ
運河株式会社のエジプトの持ち株を買収しその支配権を手に入れたのは何年のことか。
③ アフガーニーの影響を受けたエジプトの陸軍大臣アラービー=パシャが蜂起したが、
翌年には英軍に鎮圧されて、以後40年間軍事占領されることになった。このエジプトで
のアラービー=パシャの乱は何年から何年の出来事か。
④ 教祖ムハンマド=アフマドを指導者とする、スーダンの復古的イスラーム教派による
反英闘争であるマフディーの抵抗運動は、何年から何年の出来事か。
⑤ オランダ系移民ブール人国家のトランスヴァール共和国とオレンジ自由国に、イギリ
スが進出を図った南ア(南アフリカ)戦争は、何年から何年の出来事か。
⑥ 英・仏のアフリカ進出政策(英が縦断政策、仏が横断政策)が、ナイル河上流スーダン
の都市ファショダで衝突した、ファショダ事件が起こったのは何年か。フランスが譲歩し、
ドイツを共通の敵として英仏が歩み寄ることになった。
⑦ 第1次モロッコ事件は、独皇帝ヴィルヘルム2世がタンジール港に上陸したため、タ
ンジール事件とも呼ばれるが、それは何年の出来事か。
⑧ 第2次モロッコ事件は、独海軍がアガディール港に上陸したため、アガディール事件
とも呼ばれるが、それは何年の出来事か。この結果、モロッコの大部分はフランスの保
護国となり、一部はスペインの保護国となった。
① 1869年(「人は無休で工事、スエズ運河開通」)
② 1875年(「イギリスの人は長く支配、スエズ運河の株買収」)
③ 1881~82年(「エジプトの人は湧いた、奴の名はアラービー」)
④ 1881~98年(「スーダンの人は湧いた、悔しいのはイギリス、マフディーの抵抗運動」)
⑤ 1899~1902年(「イギリスの人は、クッ、クッと笑うが、一苦労になる南ア戦争」)
⑥ 1898年(「フランスの人は悔しい、ファショダ事件」)
⑦ 1905年(「ひどく怒ったヴィルヘルム2世、タンジール港に上陸」)
⑧ 1911年(「ひどく人々騒がせた、アガディール事件」)
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