No.116. イラン・アフガニスタン・インドの植民地化
① イランに成立した、シーア派だがトルコ系のイスラーム王朝であるカージャール朝は、
何年に建国されたか。
② 南下政策を推進するロシアが、イランのカージャール朝に結ばせて、アルメニアを割
譲させ治外法権を取得した不平等条約のトルコマンチャーイ条約は、何年に締結されたか。
③ ヨーロッパで七年戦争が戦われている時の、インドでの英仏間の植民地戦争で、イギ
リスがフランスと現地勢力であるベンガル土侯の連合軍に圧勝したことによって、イギ
リスのインド制覇が決定的になったプラッシーの戦いは、何年の出来事か。
④ 英東インド会社が、本国での自由主義改革の高まりからインドでの貿易独占権を失っ
たのは何年か。
⑤ 英東インド会社が、商業活動自体も全面禁止になりその後は本国政府の出先機関とし
てインド統治にあたることになったのは何年か。
⑥ 19世紀後半、経済の悪化と反英感情の高まりを背景に、東インド会社のインド人傭兵
であるシパーヒーの蜂起から始まったことからインド初の民族的大反乱、「シパーヒー
の反乱」は、何年から何年まで続いたか。
⑦ 「シパーヒーの反乱」の中で、ムガル帝国が滅亡し英東インド会社が解散したが、そ
れは何年か。実質この年から、本国イギリス政府のインド直接統治が始まる。
⑧ イギリス女王ヴィクトリアがインド皇帝を兼任する形でインド帝国が成立し、名実と
もに本国イギリス政府のインド直接統治が始まるが、それは何年の出来事か。
① 1796年(「イランの人殴る、カージャール朝建国」)
② 1828年(「ロシアの人はニヤッ、イラン進出、トルコマンチャーイ条約」)
③ 1757年(「人何年もこんな戦い、プラッシーの戦い」)
④ 1814年(「イギリスの人廃止、インド貿易独占権」)
⑤ 1834年(「イギリスの人は見よ、商業活動停止」)
⑥ 1857年(「インドの人は困難に立ち向かう」)
~1859年(「インドの人は降伏、シパーヒーの乱」)
⑦ 1858年(「インドの人は恐がるイギリス、ムガル帝国滅亡と英東インド会社解散」)
⑧ 1877年(「イギリスの人は『ヒヒッ』と笑うインド帝国」)
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