No.110. ビスマルク外交、仏第三共和政
① ビスマルク外交第1期を支えた、独・墺・露による三帝同盟は何年に結成されたか。
② ビスマルク主催で開催されたベルリン会議の結果、南下政策を挫折させられたロシア
がドイツから離れて三帝同盟が崩壊したが、それは何年の出来事か。
③ ビスマルク外交第2期を支えた同盟関係で、前年にチュニジアをフランスに「横取り」
されたイタリアがドイツ・オーストリアに接近して成立した三国同盟は何年に結成され
たか。1915年にイタリアが裏切るまで存続。
④ ビスマルク外交第3期を支えた同盟関係で、新三帝同盟が崩れた年の内にビスマルク
が締結して、ロシアをドイツにつなぎとめた再保障条約は何年に結ばれたか。
⑤ 臨時政府の首相ティエールによる対ドイツ講和に反対し、普通選挙で成立したパリ民
衆(労働者中心)による史上初の社会主義政権パリ=コミューンは、何年の3月から5月
に存続して、ドイツ軍の支援を得た臨時政府(ボルドーからヴェルサイユに移転していた)
に鎮圧されて崩壊したか。
⑥ フランス第三共和政は、何年から何年まで存続したか。
① 1873年(「独・墺・露の、人はなさん、三帝同盟」)
② 1878年(「人華やかに、ベルリン会議で、同盟崩壊」)
③ 1882年(「イタリアも一派やね、三国同盟の」)
④ 1887年(「独・露の、人は離さん、再保障条約」)
⑤ 1871年(「フランスの、人は泣いたよ、パリ=コミューン」)
⑥ 1870年(「フランスの、人は慣れたよ、第三共和政」)
~1940年(「『チクショー』と、フランス、ナチスに降伏よ」)
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