No.85. 名誉革命、責任内閣制

① 護国クロムウェルの死後、長老派が勢力を回復し、チャールズ2世が即位すること
 によって実現したイギリスの王政復古は何年か。

② 王政復古で即位したチャールズ2世がカトリックの復活を図ったため、議会がそれに
 対抗して、「公職(官僚や議員)就任者は国教徒に限定する」という内容の審査法を制定した
 のは何年か。

③ チャールズ2世の反動政治を抑えるために、さらに議会が「不法逮捕の禁止」という
 内容の人身保護法を制定したのは何年か。

④ 専制政治を強行した英王ジェームズ2世に対抗して、議会は王の娘夫妻を王位に招き、
 王は亡命してイギリスの絶対王政は完全に崩壊した。この事件を、「流血を伴わなかっ
 た革命」と誇って名誉革命というが、それは何年に起こった市民革命か。

⑤ ウィリアム3世・メアリ2世の国王夫妻が権利の宣言を承認して法律とした、「王は
 行政・立法・司法・課税・軍事について議会の承認が必要」とするイギリス憲法の基礎
 となる歴史的文書である権利の章典が制定されたのは何年か。

⑥ 英女王アンの時代に、イギリスはスコットランド王国を併合して、大ブリテン王国と
 なったのは何年か。

⑦ ステュアート朝断絶後、親戚筋にあたるドイツ(神聖ローマ)の選帝侯がイギリス王ジョー
 ジ1世として即位し、ハノーヴァー朝(第一次世界大戦中に現在のウィンザー朝に改称)
 を成立させたのは何年か。


① 1660年(「イギリスのルール政、王政復古」)

② 1673年(「色々涙を飲んで、審査法制定」)     

③ 1679年(「王の不法を色々なくす、人身保護法制定」)

④ 1688年(「ヒーローは晴れて、名誉革命」)

⑤ 1689年(「色々約束、権利の章典」)

⑥ 1707年(「いーなじで、スコットランド併合」)

⑦ 1714年(「いないよステュアート家には次の王、ハノーヴァー朝成立」)


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