No.72. 英仏の身分制議会
① 北フランスのノルマンディー公国の領主であるノルマンディー公ウィリアムが、イン
グランドの復活アングロ=サクソン朝を征服し(ノルマン=コンクェスト)、ウィリアム1世として
イギリス王に即位することでノルマン朝を開いたのは何年の出来事か。
② ノルマン朝断絶後、フランス諸侯としてはアンジュー伯領の領主であるヘンリが、ヘ
ンリ2世としてイギリス王に即位することでプランタジネット朝を開いたのは何年の出
来事か。
③ イギリスのジョン王が、その失政から重税を課そうとして貴族たちの反抗にあい承認
させられた、イギリス憲法の基礎となる大憲章(マグナ=カルタ)がイギリスに成立したのは何
年か。
④ イギリス王のヘンリ3世が大憲章を無視したため貴族が起こした、シモン=ド=モン
フォールの乱により、イギリス下院(今の庶民院)の起源であるシモン=ド=モンフォールの
議会を召集させられたのは何年か。
⑤ 聖職者・貴族(諸侯や騎士)代表(これに市民代表が参加して完成)によって構成された国王の
諮問(しもん)機関(今の国会のような議決機関ではない)的議会を制度化したイギリスの模範議会は、
何年に召集されたか。スコットランド遠征の軍事費を得るため、イギリス王エドワード1世が召集。
⑥ カロリング朝断絶した西フランク王国で、初代フランス王に即位したパリ伯のユーグ
=カペーが開いたカペー朝の成立は何年か。
⑦ 仏王フィリップ4世は、教皇ボニファティウス8世との戦いに際して、国内の有力者
の支持を得るため三部会を召集したの何年か。
⑧ フランス王フィリップ4世による聖職者への課税に反対して争い、ローマ教皇ボニフ
ァティウス8世が敗れて捕虜となり憤死したアナーニ事件は何年の出来事か。
⑨ カペー朝断絶後、フィリップ6世を初代として成立したフランスのヴァロワ朝が成立
したのは何年の出来事か。これにカペー家の女性を母とするイギリス王エドワード3世
が自らの王位継承権を主張して、百年戦争の原因の一つとなった。
① 1066年(「入れロロの子孫のウィリアム、ノルマン=コンクェスト、ノルマン朝成立」)
② 1154年(「人々殺して、プランタジネット朝成立」)
③ 1215年(「イギリスの人に威光今でも、大憲章」)
④ 1265年(「イギリスの人に立候補、シモン=ド=モンフォールの議会」)
⑤ 1295年(「イギリスの人に勲功(・・・・)、模範議会」)
⑥ 987年(「苦はなし、カペー朝成立」)
⑦ 1302年(「いざ、王に協力、三部会」)
⑧ 1303年(「イザ、王様フィリップ4世、教皇と勝負、アナーニ事件」)
⑨ 1328年(「イザ、2つ目のヴァロワ朝成立」)
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