No.36. 五代十国時代、北宋
① 五代十国時代最後の王朝である後周の節度使趙 匡胤(ちょうきょういん)(太祖)が、部下に推されて宋(北宋)
王朝を開いたのは何年の出来事か。
② 北宋の文治主義と対外消極策の弊害として、異民族の侵入があったが、北宋がモンゴ
ル系の遼と結んだ、中国にとって屈辱的な平和条約である澶淵の盟は何年の出来事か。
③ 北宋6代目の皇帝神宗に抜擢された王 安石が、改革のために新法を実施したのは名
世紀のいつ頃か。
④ 靖康の変により、都開封をツングース系の金に占領され、上皇の徽宗・皇帝の欽宗父
子が北方に連行されて北宋が滅亡したのは何年の出来事か。
① 960年(「苦労に応えて、宋成立」)
② 1004年(「澶淵の盟は、千年と4年」)
③ 11世紀後半(「いい人、王 安石の新法」)
④ 1127年(「人々に悲劇、北宋滅亡」)
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