「まんなかのまこと」


 竹井さんの運転する路線バスは、今日も海辺の町と町をつないで走っています。
  

 秋も深まって、思っているより早く夕日が教室の窓を赤く輝かせるようになりました。

そんな時間に、広い玄関からグラウンドとその向こうに海の見える中学校前のバス

停で停まると、いつもの3人組が例のごとく一番後ろの長イスに陣取りました。バック

ミラーでそれを確認すると、竹井さんはいつもどおり、この3人組が乗った時だけの

「車内サービス」をします。「発車します」と手元のマイクで3人の真ん中にいるまこと

君に呼びかけるのです。(ホントは、どのバス停でもすることになっているのです。発

車の合図のブザーは鳴りますけどね。)竹井さんの声に、今日もまこと君は満足そう

にニッコリしてくれました。竹井さんの胸の真ん中に、なにか暖かいものが広がります。
                         

 ことの始まりはこうでした。あれは始業式の日だったのでしょう。4月の初め、桜の花

びらが潮風に踊る暖かい春の日のお昼頃、一組の母子がバスを待っていました。ほか

の人たちは午前中のうちに式を終えて帰った後のようで、学校は放課後の静かさでした。

おやっ、と竹井さんが思ったのは、その男の子が中学一年生にしてはからだがとても小

さくて、しかも母親と手をつないでいたからです。一番前のイスに座ったその子の顔を見

て、竹井さんはハッ、としました。「やっちゃんや」。


 やっちゃんは、竹井さんが故郷を離れたばかりのまだ若い時分、ある養護学校(今は

特別支援学校)の修学旅行のバスを運転した時に、人なつっこく竹井さんにくっついてき

た女の子のことです。その時の心がくすぐったくなるような楽しさを思い出しました。「確か、

ダウン症…って、あんときの先生ら、言っとったっけ」。竹井さんは「不謹慎やろなぁ」と思

いつつも、心の中でニッコリしてつぶやきました。「こりゃ、いいや。友だちになったるぞ」。

(自分の方が友だちになってほしいくせにね。)                   


 その日から学校前のバス停は、竹井さんの楽しみになりました。最初のうちは、お母さん

がつきそっていたので、なかなか話しかけられなかった照れ屋の竹井さんでした。でも、ま

こと君も、だんだん学校に慣れてきたのでしょう。夏休みに入る少し前くらいから、ひとりで

バスに乗るようになりました。それでも話しかけるにはキッカケというものが必要です。竹井

さんは、なにかまこと君のことを特別扱いしていると思われたくないのです。(ほんとは、特

別にまこと君のことを思っているのですが。)  


 さてそんな7月のある日のこと、まこと君がイスに座るのをバックミラーで見ながら、いつも

は面倒くさくて言っていない「発車します」というアナウンスをしてみました。すると、あんのじ

ょう、まこと君がいつもはうつむきがちな顔をサッと上げて、鏡の中で「どうや」と期待してい

るニコニコ顔の竹井さんを見つめてくれたのです。その日は定期を見せてバスをおりる時に、

初めてまこと君に声をかけることができました。(といっても、たった一言、「オッス。」でした

が…。)


 それから、夏が過ぎて秋になる頃には、2人の友だちと一緒にバスに乗り込むようになった

のです。いつもまこと君を真ん中にしているその2人の男の子たちのことも、竹井さんは大好

きです。「ホント、まんなかのまことやな」とつぶやきながら、ゆっくりとアクセルをふみこんでゆ

きます。(もしかすると竹井さんは、まこと君が真ん中にされる世の中ってやつを、夢見ている

のかもしれませんよ。)