授業編(2023<令和5>年度 2年歴史総合)
「ウルトラ
80」名作・力作集

3単位セクション 2024年2月6日(水) 「冷戦と緊張緩和」

「スターリンの死後」

スターリンが亡くなったことにより、世界の国々の親交は深まり、いい方向へと進んで
いった。だけど、スターリンという存在が大き過ぎて、そのように世界が変わり始める
まで何年もかかった。

MTのコメント:

「世界がいい方向へと変わり始めた」のが、1956年のスターリン批判(当時のソ連の
リーダー、フルシチョフによる)なので、スターリンの死去(1953年)から3年もかか
ったということですね。スターリンの恐ろしさ(その政治手法)を、象徴する出来事だ
と思います。

「アメリカとソ連の冷戦 緊張と緩和」

スターリンが亡くなった後、フルシチョフがスターリン批判を行った。そしてそのこと
は、「今までのスターリン体制のマイナス面を明確に批判することで、ソ連の国民たち
の洗脳を解くことができたのだ」と私は考えました。

MTのコメント:

なるほど…。私もあなたの考えに、全面的に賛同します。そして今現在の「プーチン体制」
のマイナス面について、改めて考えさせられました。

2単位セクション 2024年2月5日(火) 「冷戦と緊張緩和」

「ソ連のリーダー」

今日の授業に「ツルフサの法則」が出てきた。これがあると、ソ連のリーダーが「いつ
の時代のどの人なのか」覚えやすいなと思いました。

MTのコメント:

ありがとうございます。ちなみに、この法則をソ連のリーダー以外にも当てはめようと
しないでくださいね。

(無題)

フルシチョフがスターリンを批判するのに3年かかった。だから、それくらいにスター
リンは恐ろしい存在だったということがわかった。

MTのコメント:

そうですね。ましてやスターリンが生きている時代には、批判(プラス面はよく評価し
つつ、マイナス面に「ダメ出し」する)なんて「命がけ」だったのでしょう。…あ、今日
は2月19日です。ロシアで、「プーチン大統領批判の第一人者」ナワリヌイさんが亡く
なった(不審死)というニュースが届きました。

2単位セクション 2024年2月1日(金) 「戦後日本の出発」

「自衛隊」

GHQによって作られた警察予備隊は、後に今の自衛隊となった。しかし、その「自衛
隊が日本を防衛する」という考え方がなくなるような世界になって欲しいと思います。

MTのコメント:

インドの思想家ガンディーが、次のように言っています。「大切な理想は、カタツムリ
の歩みのように、ゆっくりと達成されるのです」。あなたが期待する理想の未来(ドイ
ツの哲学者カントが著作『永遠平和のために』で述べた「軍隊の無い世界」)は、あわ
てて実現しようとすると逆に混乱や多くの犠牲が生じてしまうマイナス面があるかもし
れませんね。「現実から逃避する理想主義」と「理想から逃避する現実主義」のどちら
でもない、「現実から逃げない理想主義」と「理想から逃げない現実主義」の考え方で
生きていきたいと思います。

「昭和天皇」

昭和天皇は、連合国軍最高司令部長官マッカーサー(アメリカの陸軍元帥<げんすい>
と一緒(ツーショット)の写真に収まった。そしてその事は、その時の日本にとってと
ても正しかったと自分は思う。

MTのコメント:

昭和天皇の「人間宣言」が単なる言葉だけでなく、「人間ヒロヒト」=「一人の日本人
ヒロヒト」(もちろん「新生日本の象徴としての天皇」の責任を引き受けたヒロヒト)
としての実質を、日本国民と世界中の人々に示したというプラス面があったのかもしれ
ませんね。

2単位セクション 2024年2月日(金) 「戦後日本の出発」

「自衛隊」

GHQによって作られた警察予備隊はのちに自衛隊となった。その自衛隊が日本を防衛
するという考え方がなくなるような世界になって欲しいと思います。




2単位セクション 2024年1月29日(火) 「日本撤退後のアジア諸国」

「独立するアジア諸国」

第二次世界大戦後、民族独立運動が激化し、アジア諸国では独立が達成されたことが
わかりました。また、そのことに冷戦が大きく影響したんだと感じました。

MTのコメント:

敗戦した日本軍の撤退により、欧米の植民地だったアジア諸国に空白状態が生まれた
ことで独立が実現したことを、よく理解していますね。また、「冷戦の大きな影響」
に気づいた点も素晴らしいです。ベトナムと中国と朝鮮の共通点は、北に親ソ政権の
社会主義・共産主義国家が、南に親米政権の資本主義・自由主義国家が成立したこと
なのですね。

「朝鮮戦争」

19506月、北朝鮮が武力による国家の統一を目指して韓国に攻め入ったことから朝
鮮戦争が始まり、国際連合は北朝鮮への武力制裁を決定し、アメリカ軍を主力とする
国連軍を派遣しました。 またこれに対して中国が義勇軍を送って北朝鮮を支援し、一
進一退の戦いは1953年に休戦協定が結ばれるまで続きました。

MTのコメント:

朝鮮戦争の勃発から休戦までの流れを、とても分かりやすい文章でまとめてくれてい
ます。「国語力」の高さが伝わってくる「名作ウルトラ80」だと思います。

2単位セクション 2024年1月25日(木) 「冷たい戦争の始まり」

「ベルリンの壁」

アメリカとソ連の対立は、まずはヨーロッパにおいて激しかった(チャーチルの「鉄の
カーテン」演説)。そしてソ連は自国の安全保障のためと称して、東欧・中欧に共産党
による親ソ政権を樹立させた。

MTのコメント:
あなたが指摘してくれた「ソ連は自国の安全保障のためと称して…」という考え方は、
今のプーチン大統領のロシアにも当てはまることだと思います。もちろん今は「共産党
による親ソ政権」ではなく、「プーチン党による親ロ政権」の樹立を目指しているので
しょう。

「戦争について」

過去には、第3次世界大戦が起きそうな出来事があった。それでもそんな大きな戦争が今
まで起きていないことが、すごく奇跡的だと思った。

MTのコメント:
なるほど、「第3次世界大戦が起きそうな出来事」というのは朝鮮戦争やキューバ危機の
ことですね。これまでが「奇跡」だったとしても、これからの「奇跡」をあてにはできな
いですね。

3単位セクション 2024年1月24日(水) 「冷たい戦争の始まり」

「戦後まもなく起きたアメリカとソ連との冷戦」

第二次大戦後、連合国の国々が戦争の後始末の最中であった頃のソ連の動きに、英国の
チャーチルは批判的意見を出した。しかし、ソ連はその後、東ドイツを占領下において
共産主義的な統治を始めたことにより、アメリカやヨーロッパ諸国との冷戦に突入した。

MTのコメント:
いくら戦後混乱期だったとしても、連合国=戦勝国側のメンバー同士の勢力争いは、現
在の我々から見ても「がっかり」ですよね。このことも「教訓」にすべきですよね。

「昔のヨーロッパ」

英が昔、EEC(今のEU)に入っていなかったことに驚いた。そのため、2年前にEUを脱
退したけど元々最初は入っていなかったことも理由だと分かった。

MTのコメント:
歴史を学ぶ喜びの一つは、ドラマの因果関係やストーリーの伏線や布石が腑に落ちるよ
うに理解できて、なんだかスッキリすることだと思います。今回の授業で、あなたには
それが経験できたのでしょう。

2単位セクション 2024年1月23日(火) 「W.W.Ⅱ後の世界秩序」

(無題)

今の国連と昔の国連の違いがわかった。違いは、今の国連(国際連合)が現実を重視
した考え方で、昔の国連(国際連盟)が理想を重視した考え方だと思うし、本部が置
かれた場所や総会での決め方などを現実的な場所(アメリカのニューヨーク)や決め
方(多数決)に変えることで戦争を起こさないようにしているとわかった。

MTのコメント:

あなたが伝えたいと思っていることを想像して、少しばかり「盛り」ました。そのこ
とを許してください。

「国連」

今、第三次世界大戦が起こってしまうくらいには、ウクライナ戦争などがエスカレー
トしていない。それは、「この国連のおかげ」と思いたい。

MTのコメント:

私も同感です。そうじゃないと、第二次世界大戦で亡くなった人達に申し訳ない…と
思ってしまいます。

3単位セクション 2024年1月18日(木) 「W.W.Ⅱ後の世界秩序」

「第二次世界大戦後の世界秩序」

第二次世界大戦が終わり国際連盟が導入されて、世界がもう二度と戦争を起こさない
ようにしようという意識が芽生えた。そして、ブロック経済を反省するブレトンウッ
ズ体制が導入された。

MTのコメント:

ブレトンウッズ体制は、「先の大戦」=第二次世界大戦を教訓にして、自由貿易体制
を国際経済のメインにすることにより、全ての国が「お互いに商売相手」になること
で戦争が起こらないようにしようとしたものなのですね。まさに、「人類の知恵」だ
と思います。

「国際連盟と国際連合」

国際連盟で失敗したことの、反省を活かしたのが国際連合。例えば本部をニューヨー
クに置いたり、総会を全会一致の決め方にした。

MTのコメント:

少ない字数でうまくまとめていますね。あなたの文章力や感性(センス)が、よく発
揮されている「ウルトラ80」だと思います。

2単位セクション 2024年1月18日(木) 「W.W.Ⅱの終わり」

「原爆について」

日本に、もし原爆が落とされていなかったら…。もしかしたら、今の平和な日本は無か
ったのかなと思った。

MTのコメント:
これは、とても大切で重い「問い」ですね。では、被爆した当事者の「答え」に耳を傾
けてみましょう(もちろん、私の想像です)。Aさん:「私たちが原爆の犠牲になった
ことが、今の日本の平和の原因になっていると思ってくれてありがとう。私たちの死は、
無駄じゃなかったんですね」。Bさん:「確かにそうかもしれないけど、他に方法は無
かったのかな。だって、あまりにも残虐な死だったから」。Cさん:「…」。
私からは、
「素晴らしい『ウルトラ80』をありがとうございました」。

「第二次世界大戦について」

戦争のことや原爆の事が、前より理解できた。そして、映画「火垂るの墓」を見てみた
いなと思いました。

MTのコメント:
「前より理解できた」…うれしい言葉です。勉強することのよろこびは、「知らなかった
ことを知ること」「理解できなかったことが理解できたこと」「できなかったことができ
るようになったこと」だと思うので。
そして、ジブリ映画(高畑勲監督作品)の永遠の傑
作「火垂るの墓」を是非、鑑賞してください。あ、野坂昭如さんの原作小説も「推し」で
す。

3単位セクション 2024年1月17日(水) 「W.W.Ⅱの終わり」

「第二次世界大戦の爪痕と日本の降伏」

第二次世界大戦によって、アジア・太平洋だけで2000万人の人々が亡くなった。また
大戦末期に日本に対してポツダム宣言が発表されるが、これを無視したことにより広島
・長崎に原爆が投下され多くの犠牲者を出した。

MTのコメント:
歴史に「もしもあの時こうしていれば…」は禁句だという考え方がありますが、「もし
1945年7月26日に、日本政府がポツダム宣言を受諾していたら…」と思ってしまい
ます。それとは逆に、「もしも受け入れていたら…」と考えることも大事なのでしょう。

「原子爆弾」

ヒロシマに原爆が落とされ(8月6日)、ナガサキにも落とされた(8月9日)。そし
て、その間にソ連が「我が国にとって、いい機会だ」と思い、中立条約を一方的に破棄
して日本に攻め込んできた。

MTのコメント:
ソ連のやり方(ヒロシマへの原爆投下に苦しむ日本に突然攻め込んだこと)は「火事場
泥棒」的だし、アメリカのやり方(落とさなくてもよい長崎への原爆投下)にも「人体
実験」的ですよね。歴史的な出来事は、多面的・多角的に理解・把握しましょう。

2単位セクション 2024年1月11日(木) 「W.W.Ⅱの始まり」

「ヒトラーとスターリン」

ヒトラーとスターリンが、握手して協力していたことが分かった。そしてそれはお互い
の思惑があり、ただ協力しているわけではないと知った。

MTのコメント:
本当は「水と油」の2人が独ソ不可侵条約で結びついたことは、世界中の人々を驚かせ
たそうです。でもヒトラーの思惑が「二正面作戦を避けたい」で、スターリンの考えが
「イギリスとフランスに対する不信」だからそんなことになってしまったことに納得し
てくれてうれしいです。

「第二次世界大戦」

自分の一番好きなチャーチル首相(イギリス)が出てきたり、鹿児島の話(真珠湾奇襲
攻撃の練習場所)が出てきた。だから知覧特攻平和会館のことを思い出して、この戦争
は本当に悲惨なことだったなと思いました。

MTのコメント:
「イギリスの首相チャーチルが一番好き」という、あなたのセンスの高さに感心しまし
た。同時代のフランスのド=ゴール将軍やアメリカのフランクリン=ローズヴェルト大
統領と比べても、決して引けを取らない「世界の偉人」の一人ですね。第二次世界大戦
の回顧録を著してノーベル文学賞を受賞したのも、チャーチルならではですね。

3単位セクション 2024年1月10日(水) 「W.W.Ⅱの始まり」

「独ソ戦」

ヒトラーとスターリンは握手をした。しかし、どちらもそれぞれ「作戦」(思惑・下心)
があり、自分に都合のいいようにするための罠だった。

MTのコメント:

「極端な右翼的考え方(保守主義にもとづき、伝統や民族・国家を重視)」がヒトラーで
「極端な左翼的考え方(革新主義にもとづき、乱暴な共産主義を重視)がスターリンです。
だから、2人の独裁者が握手することはあり得ないはずなのに、イギリス・フランスの外交
(スペイン内戦を傍観、ミュンヘン会議でドイツに譲歩)がNGだったからスターリンが
ドイツに接近していったことがポイントですね。

「第二次世界大戦」
ドイツは険悪な関係だったソ連と一度、独ソ不可侵条約で手を組んでいた。しかし、その
2年後の1941年に結局ドイツが攻め込み、独ソ戦が開始されたが、ソ連はソ連で「いつか
来る」と予想し準備を備えていた。

MTのコメント:
日ソ中立条約が成立したのが、1941年4月。独ソ戦のスタートがその2ヶ月後の6月。ヒ
トラーがドイツの同盟国である日本に何の情報も与えなかった理由は、ソ連を油断させるた
めだったことは「見え見え」です。日本の「外交力の弱さ」が、明白になった出来事をいえ
るのでは。

2単位セクション 20231221日(木) 「日中戦争の始まり」

(無題)

独裁的になっていく日本を止めることができなかったのは、仕方がないと思った。なぜ
なら、世界恐慌や関東大震災などの被害によって、他国に侵略すべきだと思う日本人が
増えたと思ったから。

MTのコメント:
授業でも何度か説明しましたが、日本が戦争への道を選んだ(避けられなかった)こと
には様々な理由があります。単純に「天皇主権」の「遅れた政治体制の国」だったから
などと思い込まないようにしてくださいね。あなたはその大事なことが分かっていて、
しっかり自分の言葉で自分の考えを表現していて素晴らしいです。

「日本と中国」

日本は満州事変の後、国家主義になり、蔵相の高橋是清らを殺害する二・二六事件が発
生した。そして中国では、そんな日本に対抗するために抗日民族統一戦線が結成される。

MTのコメント:
なるほど、この2つの出来事(日本国内で二・二六事件、日本が進出<侵略?>を強め
る中国での抗日民族統一戦線結成)が同じ1936年に起こっていることに注目して書い
てくれた「ウルトラ80」ですね。あなたのセンスのよさが、十分に発揮されていますね。

2単位セクション 20231214日(木) 「日本のファシズム」

「震災が起きた後の日本の経済の様子」

関東大震災が起きてから金融恐慌が起こり、その後、浜口雄幸(はまぐちおさち)内閣
が世界恐慌と凶作に苦しむ昭和恐慌が起こった。そして、生糸や綿布の輸出が激減し失
業者は250万人になって、W.W.I後の日本では二人の首相(この浜口首相と五・一五事
件での犬養毅<いぬかいつよし>首相)が軍人によって暗殺されることになった。

MTのコメント:

授業でも何度か説明しましたが、日本が戦争への道を選んだ(避けられなかった)こと
には様々な理由があります。単純に「天皇主権」の「遅れた政治体制の国」だったから
などと思い込まないようにしてくださいね。あなたはその大事なことが分かっていて、
しっかり自分の言葉で自分の考えを表現していて素晴らしいです。

「戦後の日本」

高橋是清(たかはしこれきよ)蔵相は財政支出と公共事業を行い、アメリカが行った
ニューディール政策のいいところを日本にも取り入れていたこと(「日本版ニュー
ディール」と言われている)を理解した。
また、関東大震災の「関東」と関東軍の「関
東」では、意味が異なることを知ることができた。

MTのコメント:

高橋蔵相による「日本版ニューディール」が、「関東大震災と金融恐慌と昭和恐慌(世界
恐慌の日本へのダメージ)のトリプルパンチ」から日本の経済を回復させたことがよく理
解できていますね。また、関東軍が「関東州(遼東半島と南満州鉄道)の守備隊」を意味
することも、しっかり把握できていて素晴らしいです。

3単位セクション 20231213日(水) 「日中戦争の始まり」

「日中戦争」

日本は「悪いナショナリズム=国家主義」のムードを高めた。そして、1937年に日中
戦争が始まり、負けの方向に進んでいく。

MTのコメント:

良いナショナリズム(民族主義と国民主義)を大切にしながら、悪いナショナリズム
(自分の国ファーストの国家主義)に警戒して生きていきましょうね。お互いに!

「日中戦争とその後の日本が進んだ道とは」

日本は世界恐慌後、軍事産業を強化させていった。またそれにともない、国際連盟を
脱退、国際的に孤立していったが、日本は歩みを止めず中国で満州事変などの事件を
起こしていき、日中が戦争状態に突入し太平洋戦争の原因となった。

MTのコメント:

日中戦争(日本と中国の間の戦争)がアジア・太平洋戦争(主に、日本とアメリカ・
イギリスの間の戦争)の原因になっていることを、あなたはしっかりと理解できてい
ますね。素晴らしいです。

2単位セクション 20231212日(火) 「スペイン内戦、ドイツの拡大」

(無題)

「第二次世界大戦の原因を作ったのは、第一次世界大戦の戦勝国だ」ということに驚き
ました。勝ったからといって、その後のやり方を適当にしてしまうと大変な目に遭って
しまうことを学びました。

MTのコメント:

ありがとうございます。あなたは、私が「全身全霊で伝えたいこと」を受け取ってくれ
ていますね。喩えて言えば、「いいキャッチボール」ができていると思います。そして
これは、「生徒と先生のコラボレーション(共同作品)」です。

「チェコスロヴァキアを解体」

「チェコを併合、スロヴァキアは保護国化」して、差をつけることで対立させるという
ことが恐ろしいなと感じる。また、ユダヤ人が迫害されている動画に、いたたまれない
気持ちになった。

MTのコメント:

「差をつけることで対立させることにより、ドイツに対する抵抗運動を分断する」という
ひどいやり方ですよね。そしてユダヤ人に対する迫害については、人間がここまで非人間
的になってしまったことに、大きな絶望を感じます。でも、あのユダヤ系オランダ人少女
のアンネ=フランクが『日記』に、こう書いていることを信じたいです。「こんな酷い時
代だけど、人間は本当は善なのです」。

3単位セクション 20231211日(月) 「日本のファシズム」

「世界恐慌後日本が行った政策」

日本は関東大震災により経済が大幅に衰退し、世界恐慌とも重なってしまって、日本全体
が貧しい状況下にあった。しかし、日本は経済回復を目指して軍需産業を拡大していき、
ついに戦争を起こすことになった。

MTのコメント:
あなたは、経済と政治(戦争)の関係をしっかりと把握できていますね。戦争の原因になる
のが経済なら、戦争を起こさないためのヒントが経済にあるのかもしれませんね。例えば、
輸出・輸入という貿易での経済的な結び付きを強くしておけば、戦争は起きないということ。

「日本のファシズム」

日本とドイツのファシズムは、イタリアと比べてとても強かった。そして日本は関東大震災
(金融恐慌)と世界恐慌(昭和恐慌)の「ダブルパンチ」を受けて経済が大打撃を受けたた
め、戦争の道に向かうことになった。

MTのコメント:
あなたは外国(イタリア)と比べることによって、日本のファシズムの特徴(強固なファシ
ズム体制になったこと)をよく理解していますね。さらに、日本国内の事情(関東大震災や
金融恐慌、世界恐慌により、大きなダメージを受けたこと)についてもよく理解していると
思います。

3単位セクション 202312月7日(木) 「スペイン内戦、ヒトラーの領土拡張」

(無題)

ヒトラーの要求によるオーストリアとの合併(事実上の併合)は、一部(ドイツの勢いに
便乗する考えを持つ人々)には賛成の人間もいれば、(オーストリア政府の人達など)反
対の人間もいた。しかし、反対する方が良いはずであったが賛成する方が多くて、ヒトラ
ーの要求が実現してしまった。

MTのコメント:

これは、表面的には「平和的な合併」と思わせながら、実質「侵略的な併合」なのだと思い
ます。今のロシアのウクライナに対する態度にも、十分当てはまると思います。だまされるな!

「虐殺」

何の罪もないユダヤ人たちは、「必要ないから」といって大量虐殺された。だけど、女性の髪
の毛や金歯・銀歯など使えそうなものだけ、殺した後に死体からとりあげた。

MTのコメント:人間がここまで非人間的になれてしまったことに、大きな絶望を感じます。
でも、あのユダヤ系オランダ人のアンネ=フランクが『日記』に、こう書いていることを信じ
たいです。「こんな酷い時代だけど、人間は本当は善なのです」。

3単位セクション 20231122日(水) 「ファシズムの台頭」

「第二次世界大戦前」

ヒトラーはミュンヘン一揆に失敗したものの、内閣を設立した。また、全権委任法を制定
して、1934年に総統になることに成功した。

MTのコメント:

ヒトラーが「失敗は成功のもと」にしたことは、私たち一人ひとりの生き方にも役立てる
ことができる出来事(歴史)です。しかし、選挙や多数決などの民主的な手続きを踏まえ
ながら恐ろしいファシズム(全体主義)や独裁を実現したことは、私たち(人類)にとっ
ての「2度と同じ過ちを繰り返さないための教訓」にしなければ!

「第二次世界大戦とヒトラーなどによる独裁体制について」

第二次世界大戦前のドイツでは、ヒトラーが総統として国民から支持を受け当選した。ま
た、第一次世界大戦により失業者が増えたこときっかけに、国民に対して「自ら、あるべ
き暮らしや営みを取り戻そう!」と訴え、独裁体制化で共産主義を抑圧して第二次世界大
戦に踏み出していった。

MAのコメント:

経済が混乱すると社会不安が高まって、それを利用したファシズム(全体主義)が成立し
てしまうことがある。ということは、経済が安定していると社会不安が高まらずに、それ
を利用したファシズム(全体主義)が成立してしまうことがないということ。つまり「経
済が大事」。

2単位セクション 20231121日(火) 「世界恐慌。ソ連の動き」

「暗黒の木曜日」

1920年代のアメリカでの過剰な生産や株への投機が原因で、1929年に「世界恐慌」が
起こった。社会主義経済体制のソ連を除いた各国では、生産低下、失業者の増加など様
々な悪影響を与えた。

MTのコメント:

乱暴な資本主義経済体制には、致命的な欠点・弱点=貧富の差を拡大して経済格差を生
んでしまう・極端な景気変動(深刻な不況を「恐慌」と呼ぶ)が起きるということが分
かりましたね。だから、今の経済体制は、社会主義を一部取り入れた(例えば独占禁止
法などにより、ある程度、政府や国家が経済活動をコントロールする)「混合経済」に
なっているのです。

(無題)

W.W.ⅠとW.W.Ⅱの間の20年で、10年経ったら「いい(協調期)から悪い(崩壊期)」
に変わっていったということがわかりました。またそれに関して、(1929年に起こった
世界恐慌で)生産低下や失業者増加など悪いことばかりが起こったんだなとわかりました。

MTのコメント:

2度の世界大戦の間の時代を、「戦間期」と呼びます。それが丁度20年間で、真ん中
の年=1929年(語呂合わせは「ひどくパニック」)に起こった世界恐慌のせいで協調
期が終わってしまい、崩壊期(第二次世界大戦の「戦前」)に突入してしまったこと
をしっかり理解してくれて、とてもうれしいです。

2単位セクション 20231116日(木) 「朝鮮・中国での民族運動」

「日本の抑制」

日本のやり方に反対した朝鮮(1910年、韓国併合で日本の領土にされている)が三・
一独立運動、中国(1915年、日本からの二十一か条要求を受諾)が五・四運動を行っ
ていることから、日本は「良くないことをしていたんだな」と思った。また、ワシン
トン体制によって、これまでアメリカが許していた日本の中国進出が、「手のひら返
し」のように警戒・抑制されたことがわかった。

MTのコメント:

この時代に日本がしていた「良くないこと」は、第一次世界大戦の戦勝国であるアメ
リカやイギリス、フランスなどの強国がしていたことです。そもそも、中国に不平等
条約を結ばせたのはアヘン戦争に勝利したイギリスでしたよね。今の国際感覚や人権
感覚では、「超NG」な時代だったのです。そんな歴史を反省して、教訓にして今が
あるのに…。

「第一次世界大戦のその後」

今日の授業でわかったことは、昔の日本人は中国の人を見下していたということだ。
そしてそのことを背景に、中国の民衆が二十一か条約の取り消しを求める五・四運動
が起きたと知った。

MTのコメント:

白話運動を推進した作家の魯迅と、福井県あわら市出身の藤野先生のエピソード(い
じめられた魯迅をかばって言った言葉が、「学問に国境はない」)をしっかり受けと
めてくれて、ありがとうございます。

2単位セクション 20231031日(火) 「ロシア革命」

「ロシアとソ連」

1905年、血の日曜日事件が原因でロシア第1次革命が起こるが失敗し、1917年、十一
月革命でボリシェヴィキ指導者レーニンは社会主義の必要性を主張して資本主義の臨時
政府(この年の三月革命で成立していた)を倒し革命成功。しかし、資本主義に戻りた
い一部の指導者や民衆が赤軍と対抗する反革命の白軍となし、他国は資本主義のため白
軍を応援した。

MTのコメント:

日露戦争(190405年)がロシア第一次革命(1905年)の原因の一つになっている
ことや、第一世界大戦(191418年)がロシア三月革命と十一月革命(1917年)の
原因の一つになっていることにも注目しましょう。戦争はインフレ(物価高)を引き起
こし、働き手の男性を兵隊にとられてしまうことで、多くの民衆に政府への不満を抱か
せるからなのですね。

「革命」

1917年に起こったロシア革命は、3月には三月革命で臨時政府が設立し、11月には
十一月革命で臨時政府を倒している。そして「工場で働く労働者や農民達は、十一月革
命の成功によっていい気持ちになったんだな」とわかりました。

MTのコメント:

臨時政府は資本主義の経済システム(個人の自由な経済活動を優先する)にもとづく
ロシアにしようとしていたから、社会主義の経済システム(貧富の差がない平等な社会
を目指して政府が経済活動を計画・統制する)に期待する労働者・農民がレーニンの指導
により臨時政府を倒してソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)ができたのです。

2単位セクション 20231019日(木) 「辛亥革命と清の滅亡」

「清朝の崩壊と辛亥革命」

1905年、留学や亡命で日本にいた革命派の人々が中国同盟会を結成した。そして孫文
が指導者として主張した三民主義は、革命運動の進むべき方向を示し、後の中国に大き
な影響を与えた。

MTのコメント:
三民主義の影響は、日本国憲法3つの柱の1つ「国民主権」にも及んでいるのかも知れ
ませんね。孫文は単に中国の英雄ではなくて、グローバル・ヒーロー(世界の英雄)だ
と思います。

「清と中華民国の関係」

清の近代化は三回も失敗し、辛亥革命で滅ぼされた。また孫文は、「嫌なことであって
も」袁世凱に大総統の地位を渡すことで、清を滅ぼすことができた。

MTのコメント:
孫文の三民主義の考え方、特に民権主義(国の主権は国民にある)と袁世凱への大総統
の地位の譲渡には矛盾を感じますが、軍事力が不十分だった孫文にとっては「この選択
肢」しかなかったのでしょうね。そこのところに、私は大きなドラマ(映画になるよう
な)を感じます。

3単位セクション 20231019日(木) 「ヨーロッパの火薬庫バルカン半島」

「ドイツとバルカン情勢」

ドイツは1880年代、ビスマルクの外交政策でドイツを統一した。しかしドイツのヴィル
ヘルム2世によりビスマルクは退職させられ、その後ドイツは世界大戦に向かって進んで
いった。

MTのコメント:
歴史について考える際に、 if 「もしも~だったら」と思うことがあります。特にこの「若
い皇帝ヴィルヘルム2世との対立によるビスマルクの辞職」という出来事と、第一次世界
大戦の勃発の因果関係について考える際に、「もしもビスマルクが辞職させられなかった
ら、第一次世界大戦は起きなかったかも」と思ってしまいます。

「ビスマルク」

ビスマルクがいれば、第一次世界大戦が起こらず平和になっていた。英雄です。

MTのコメント:
同感です。ただ私なら、「ビスマルクがいれば…平和になっていたかもしれない」くらい
にしておきます。

3単位セクション 20231018日(水) 「辛亥革命と清の滅亡」

「孫文」

孫文は三民主義を主張するが、清軍のトップの袁世凱と清を滅ぼしてもらうかわりに
中華民国の大総統の地位を譲った。また、袁世凱は独裁を始めた。

MTのコメント:
なるほど、孫文の三民主義の考え方、特に民権主義(国の主権は国民にある)と袁世凱
への大総統の地位の譲渡には、矛盾を感じますね。でも、軍事力が不十分だった孫文に
とっては「この選択肢」しかなかったという理解も大事だと思います。

「袁世凱」

袁は私利私欲。だから、中国のことを考えずに何もかも失敗に終わった。

MTのコメント:
「私利私欲」の袁世凱は、「公共の福祉」のために頑張った孫文とは
真逆の人物ですね。


2単位セクション 2023年9月19日(火) 「立憲体制への道、日本の国境問題」

「国会開設」

大隈重信や伊藤博文などの人物を筆頭に、日本が変化していく時代は少し苦手です。な
ので、可能な限り国会期成同盟などを覚えていこうと思います。

MTのコメント:
「国会期成同盟」の覚え方は、「国会の成立を期する同盟」です。「期する」という言
葉が難しいかも知れませんが、「達成させる」とか「実現させる」という意味です。ち
なみに私は、「実現」よりも「達成」が好きです。なぜなら、「達成」の方が「達成感」
を感じられるから。

「日本の国境」

島根県が竹島を日本に編入したことがわかった。また、国によって島の呼び方が異なって
いることが面白いと思った。

MTのコメント:
「島根県が竹島を日本に編入した」のではなくて、「日本が竹島を島根県に編入した」の
で気をつけてください。また「国によって島の呼び名が異なっている」のは、日本と韓国
のそれぞれが、自国の領土であることを主張するための「必要条件」だからなのです。

2単位セクション 2023年9月14日(木) 「明治政府の政策①」


(無題)

1868
年ほどからだんだんと現代と似たような体制になってきた、という実感を覚えた。
このあたりから、「国民」などといった聞き馴染みのある言葉が生まれたことに驚いた。

MTのコメント:
江戸時代までの人々は身分ごとに権利や義務が違っていたので、「日本国民」ではなく
「日本に住んでいる人」だったのです。例えば武士の身分の人は、農民の身分の人より
も外国の貴族の身分の人と一体感を持っていたようです。よい「驚き」でしたね。セン
ス・オブ・ワンダー「驚きの感覚」こそが、学びのきっかけだと思います。

「国民の誕生」

この時代に領主と領民の区別がなくなったお陰で、日本人は今のような「市民」となり、
全員が自由で平等になれたんだなと思いました。
またそこから四民平等となり、名字、
職業、居住なども自由になったとわかりました。

MTのコメント:
「領主が領民を支配していた時代」も、必要性があったから続いたのでしょう。逆に
「四民平等で名字や職業、居住などが自由になった時代」も、必要性があったから始ま
ったのだと思います。未来は、どうなるのでしょうか?

3単位セクション 2023年9月14日(木) 「清の近代化(洋務運動)、
日清戦争」

(無題)

日本は外国や条約に負けず、強い国になるために徹底して革命(明治維新)と実績
(憲法と国会の成立。殖産興業、富国強兵)を得た。だから、そのことがすごいと
思いました。

MTのコメント:
日本以外の東洋(欧米以外)の国々では、成功しなかったことですね。例えば、清
(中国)での近代化への挑戦(洋務運動)は「中体西用(中国が大事な本体で、西
洋は応用にすぎない)」という考え方だったので、中途半端になり失敗しています
よね。

「三国干渉」

日本は遼東半島を返した。しかし、それは遼東半島を奪いたかったロシアの作戦で
ある。

MTのコメント:
そのことを知っていた当時の日本で流行した四文字熟語は、「臥薪嘗胆(がしん
しょうたん)です。その意味は、「悔しさを忘れないために、薪のベッドで寝たり
(固くて身体が痛い!)、熊の肝をなめたりする(苦い熊の肝臓をなめる!)」
です。当時の日本と日本人の、ロシアに対する感情がどういうものであったのかがよく分かります。

3単位セクション 2023年9月13日(水) 「立憲体制への道、日本の国境問題」


「日本の立憲体制(明治維新)」

日本は1880年代に自由民権運動が始まり、国民も政治的な権利や権限を持てるようにす
ることを訴えた。だが、伊藤博文ら政府の人々はそれを認めなかった。

MTのコメント:
後に早稲田大学を創設する大隈重信の考え方や立場が、伊藤博文の考え方や立場とは真逆
であることが伝わってくる「ウルトラ80」だと思います。ありがとうございます。早稲田
大学出身の丸山先生にも、読んでもらいたいです。

「立憲体制への道のり」

今の日本の憲法や国会は、板垣退助や伊藤博文などによってつくられていることをより理
解できた。また、日本の国境問題も再確認できた。

MTのコメント:

どちらかといえば、板垣退助の考え方(自由民権運動の考え方)が今の憲法=第二次世界
大戦に敗北した後の日本国憲法に近くて、伊藤博文の考え方が当時の大日本帝国憲法(明
治憲法)の考え方に近かったのかもしれませんね。あ
と、現在も解決されていない日本の
国境問題について「再確認」してくれたことが、とてもうれしいです。


3単位セクション 2023年7月6日(木) 「明治政府の政策①」


「廃藩置県」

藩を廃止して府・県を置くという政策がなければ、今も都道府県ができていなかった。
だから、それを考えた人はすごいと思った。

MTのコメント:
まさに我が国=日本国のスタートになった、とても大事な政策ですよね。ただ、この政策
に反発して不満を高めた人々がたくさんいたことにも、心を向けてくださいね。

2単位セクション 2023年6月13日(火) 「幕末の混乱と江戸幕府の滅亡」

(無題)

日本がどのようになっていくのかを深く知ることができた。また、幕府が滅亡した後どう
なっていくかをもっと知りたいと思った。

MTのコメント:
「深く知る」「もっと知りたい」と考えてくれていますね。とてもうれしいし、「よい
授業の準備をして、生徒達とのコラボ(共同作品)としてのよい授業をやっていくぞ」
という気持が「アゲアゲ」になりました。

「考え方の変化」

幕末では尊王攘夷思想が正しいという考えが広まっていたが、長州藩や薩摩藩といった
有力な藩が外国に敗北し攘夷ができないことを悟った。失敗から学びを得られる長州藩
や薩摩藩はすごいと思った。

MTのコメント:
「失敗から学んだ」長州藩や薩摩藩の指導者の人達(桂小五郎や高杉晋作、西郷隆盛や
大久保利通)に感謝しかありません。今の日本があるのは、あなた達のおかげです。あ、
薩長同盟を実現させた、「土佐藩脱藩浪人」の坂本龍馬や中岡慎太郎のおかげでもあり
ます。

3単位セクション 2023年6月8日(木) 「黒船来航と日本の対応」

(無題)

江戸幕府はペリー来航(1853年)により弱気になり、日米和親条約(1854年)と日米
修好通商条約(1858年)を結ばされた。それで幕府は近代化改革を始めたが、手遅れだ
った。日米修好通商条約の内容は、不平等で日本に関税自主権がない。

MTのコメント:
「幕府は近代化改革を始めたが、手遅れだった」のところですが、それでも私は、「あー、
江戸幕府の人達にも、日本に近代化が必要だって分かっている人がいたんだなぁ」と知っ
て、正直うれしい気持ちになってしまいます。やっぱり私は、自分の国が好きで、自分の
国の歴史に誇りを持っています。

「ウルトラ」

ペリー来航により、江戸幕府はもう衰退しきっていたことが明らかになって、日米和親条
約を結んで開国してしまった。だから、これで江戸幕府が末期状況へと近づくきっかけに
もなった。

MTのコメント:
「ペリー来航により、江戸幕府はもう衰退しきっていたことが明らかになって」という指
摘に、「なるほど」と思いました。アヘン戦争で清がイギリスに簡単に負けてしまって、
屈辱的な不平等条約(南京条約)を結ばされた情報をキャッチしているのに、江戸幕府の
改革は「不十分で手遅れ」だったことが、よく分かります。


2単位セクション 2023年6月8日(木) 「黒船来航と日本の対応」

「江戸時代の日本の状況」

江戸時代の当時は海外からの情報を得る機会が少なかったので、オランダ風説書や帰国し
た漂流民などから幕府は情報を得ていた。そして、尊皇攘夷思想やペリーが日本に来航す
ることによって、日米和親条約、日本に不利な日米修好通商条約を結ばされた。

MTのコメント:
なるほど、アメリカが乱暴な外交(江戸幕府を軍艦や大砲で脅して、鎖国を止めさせる)
を行った理由が、日本の尊王攘夷の思想の高まりに対する「先手」だったのではないかと
いう指摘ですね。あなたのセンスが「ス・スバラシイ!」です。

「海外情報入手」

敵に勝つには「技術や思想、ものの見方・考え方を導入する」「良い物事は学んで取り入
れる」という思考が、昔も今も変わらず大事だと知りました。例 スポーツなど。

MTのコメント:
あなたは私からのメッセージを、しっかり受け取ってくれていますね。歴史を学ぶ目的は
「ただ物識りになること」ではなくて、「歴史から生きる知恵を学ぶこと」なのです。こ
の授業を頑張ってよかった(^_^)

3単位セクション 2023年6月7日(水) 「欧米諸国のアジア進出とアヘン戦争」

(無題)

清はイギリスにアヘン戦争で負け、不利な南京条約を結び、その後イギリスとフランスの
連合軍にアロー戦争で負け、北京条約を結ばされた。また、アヘンにより清の人々はおか
しくなっていた。

MTのコメント:
「清の人々はおかしくなっていた」を補足すると、「清の時代の中国では、アヘン中毒で
廃人になってしまう人がたくさんいた」になります。


2単位セクション 2023年6月6日(火) 「欧米諸国のアジア進出とアヘン戦争」

「清の悲劇」

清はアヘンを輸出されていて、イギリスは自分たちの利益しか考えていない三角貿易を行い、
このことが引き金となって、アヘン戦争が起きた。しかし、清はアヘン戦争で勝つことがで
きず、さらに苦しむこととなった。

MTのコメント:
付け加えます。「清に不利な不平等条約の南京条約を結ばされることによって、さらに苦し
むこととなった」と。

(無題)

1840
年から1842年までイギリスと清の間で起こった戦争を、「アヘン戦争」という。「ア
ヘン」は麻薬のひとつで、特に19世紀は「麻薬といえばアヘン」というほど広く流通してい
た。 当時の清では、イギリスから密輸されたアヘンのせいで中毒者が増加し、社会問題と
なっていた。 戦いに発展し、旧式の装備しか持たない清は、当時最強と呼ばれていたイギ
リス海軍に惨敗。「南京条約」を締結することになった。

MTのコメント:
ありがとうございます。80字では足りなかったのですね。とてもよく調べて書かれていて、
とても感心しました。これからも、80字にこだわらずに「ウルトラ80」を頑張ってくださ
い。

2単位セクション 2023年5月30日(火) 「産業革命」

「産業革命の背景」

産業革命は、18世紀のイギリスから始まった。なぜならば、17世紀に海外進出が本格化す
ると、イギリスはオランダ・フランスとの植民地獲得戦争において優位に立ち、18世紀後
半には海上交易を握るようになったから。

MTのコメント:
なぜ他のどの国でもなくイギリスで産業革命がスタートしたのかについて、一つの明確な理
由を見つけてまとめてくれました。グッジョブ!

「産業革命と近代社会」

産業革命は世界に大きな影響を与えた。つまり、産業革命には、農業革命・動力革命・交通
革命が連動していて、どの革命も現代の社会になくてはならないものであった。

MTのコメント:
現代社会になくてはならないものがイギリスに始まった産業革命によって誕生したことを、
しっかり理解していますね。グッジョブ!


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