No.154.

1. 第二次世界大戦に参戦したインドは、1947年、自治領として独立したが、ヒンドゥー教国家│1 │

 とイスラーム教国家が分離した形になった。これはイギリスの労働党内閣の何という首相の時か。

2. 第一次世界大戦前後はヒンドゥー教徒中心の国民会議派と連携したが、1937年から対立を深│2 │

 め、40年にはイスラーム国家の独立を決議した、1906年結成のイスラーム教徒の政治団体は何か。

3. 全インド=ムスリム連盟の指導者で、1947年のパキスタン独立により初代総督に就任したの│3 │

 は誰か。

4. 第一次世界大戦後からの国民会議派の指導者で、インド独立に際して、宗教上の対立を和解│4 │

 すべく努力したが、1948年、反イスラームの狂信的なヒンドゥー教徒に暗殺された人物は誰か。

5. 1947年、インド連邦の初代首相に就任した国民会議派の指導者は誰か。│5 │

6. 1948年、セイロンの国名で英自治領として独立。60年に史上初の女性首相パンダラナイケが│6 │

 登場し、72年に彼女が国名を何に改称して現在に至るか。

7. インドは独立後すぐに、「王冠への忠誠」を否定して英連邦を離脱し、現在のインド(連邦)共│7 │

 和国に改称したが、それは何年か。

8. 1954年のネルー・周恩来会談(チベットを巡る国境紛争回避のために、インドと中国の首相の│8 │

 間で行われた)で結ばれたチベット協定の前文に規定された、相互不侵略や内政不干渉などを

 定めた取り決めを何というか。

9. 1955年のアジア−アフリカ会議(議長はインド首相のネルー)で発表された、前年の平和五原則│9 │

 に人種・国家間の平等や自衛権の尊重などを加えた取り決めを何というか。

10. 1959年、同年に起こったチベット反乱(50年の中国による共産化以来反発)でダライ=ラマ14世│10 │

 がインドに亡命したことから勃発した紛争は何か。第三勢力や平和十原則の自己崩壊。62年、中国

 が圧勝。

11. シャストリの急死で、1966年、3代インド首相となった、ネルー首相の娘は誰か。強権政治│11 │

 も行い、74年には核保有。84年、シク教徒に暗殺。4代首相のラジブ=ガンディーは息子で、89年

 に辞職(ここまで、ずっと国民会議派政権)。91年、タミル人(仏教徒のシンハラ人が多数を占める

 スリランカで独立闘争を行うヒンドゥー教徒)に暗殺。

12. 藩王がヒンドゥー系であるにもかかわらず、住民の80%がイスラーム系のため、インドとパキ│12 │

 スタンの間で争奪の的となっている問題を、その地域名から何というか。

13. 1947年〜48年と65年に、カシミール地方帰属問題が原因となって起こり、1971年、東パキス│13 │

 タンがパキスタンからの自立を目指し、インドに接近したことと難民問題を契機に起こった、

 3度に及ぶ戦争を何というか。

14. 1971年のインド−パキスタン戦争でインドが大勝し、パキスタンから独立した国は何か。│14 │

15. 1972年に改称し、78年には英連邦を離脱したスリランカで、今も仏教徒で多数派のシンハラ│15 │

 人に対抗して戦われている独立闘争は、ヒンドゥー教徒で少数派の何人によるものか。 

16. 日本敗戦の1945年から続いたオランダとの戦いに勝利して、1949年、オランダ領東インドが│16 │

 独立して成立した国は何か。

17. 1927年、インドネシア国民党を結成した独立運動の指導者で、第二次世界大戦中は反蘭から│17 │

 親日となったが、戦後オランダとの戦いに勝利して独立後は初代大統領に就任した人物は誰か。

18. インドネシア初代大統領スカルノは、民族主義者とイスラーム教徒と共産主義者の三大勢力の│18 │

 バランスを重視したが、1965年、軍の反共クーデタで失脚したが、それは何という事件か。

19. 1965年の九・三〇事件の背景になった、インドネシアの反米・親中路線のピークを象徴する│19 │

 外交で、西側の一員としてのマレーシアの国連加入に抗議したものは何か。66年には復帰。

20. l965年の反共クーデタ、九・三〇事件を指導した民族主義軍人で、68年に大統領となり、イン│20 │

 ドネシアを西側の一員とした人物は誰か。1998年、「長期腐敗」政権への反体制運動で辞任。

21. 1895年設立の英領マライ連邦は、1957年、英連邦内自治領マラヤ連邦として独立したが、63年│21 │

 には、英領北ボルネオと合体して国名を何に改称して現在に至るか。65年1月、国連加入。

22. 1965年、マレーシアから分離独立した国はどこか。│22 │

23. 1967年、インドネシア・マレーシア・シンガポールとフィリピン・タイの5カ国で結成(84年ブ│23 │

 ルネイ、95年ベトナム加盟)された反共軍事グループで、ベトナム戦争で米国の敗北が明らか

 になった71年には、中立化して経済的な協力機構に変わり現在に至るものは何か。

24. 1948年に英連邦からも脱退して独立したビルマ連邦共和国は、非同盟主義外交をとったが、│24 │

 軍政(今のものは1988年のクーデタで成立した国家治安秩序委員会<SLORC>)が続き、民主

 化運動が阻止されている。1989年に何という国名に改称したか。

25. 1990年、ミャンマー連邦の総選挙で勝利したにもかかわらず、軍政のSLORCから弾圧を│25 │

 受けている国民民主連盟(NLD)の女性リーダーで、独立の英雄アウン=サンの娘は誰か。

26. 第二次世界大戦では日本に協力を強制されて敗戦国になったが、戦後は西側の一員となり、│26 │

 軍政で不安定だったが、1992年、総選挙で反軍部・民主化路線の政権が成立した王国はどこか。

27. 1946年、米国から独立(1934年に民主党大統領F.ローズヴェルトが10年後の独立を承認して│27 │

 いた)して西側の一員となったフィリピンの首都マニラで、1954年、インドシナ戦争(ベトナムが

 フランスからの独立戦争に勝利)の休戦を受け、米国主導で英・仏とともにオーストラリア・ニュー

 ジーランド・フィリピン・タイ・パキスタンが結成した反共組織を何というか。ベトナム戦争(米国が

 敗北)後の1977年に解散。

28. フィリピンで1965年から「長期腐敗」の強圧政治を行ったが、86年の民衆デモに端を発した│28 │

 政変でハワイに亡命した大統領は誰か。

29. 1986年の民衆デモに軍が同調してマルコス政権が打倒された後、野党統一候補から大統領に│29 │

 就任して民主化を進めた女性は誰か。83年に反マルコス政治家の夫を暗殺されている。


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