No.152.

1. 第二次世界大戦後、中国では国共内戦が再開されたが、国民党の指導者は誰か。│1 │

2. 第二次世界大戦後、中国では国共内戦が再開されたが、共産党の指導者は誰か。│2 │

3. 毛 沢東が唱えた、社会主義への過渡期の理論で、労働者が指導して農民と協力したブルジョ│3 │

 ワ市民革命の段階は何と呼ばれたか。東欧の社会主義諸国では人民民主主義。

4. 毛 沢東と共産党は、1949年10月、北京で新中国の成立を宣言したが、何という国か。│4 │

5. 1949年の中華人民共和国の建国により、毛 沢東は何というポストに就任したか。│5 │

6. 1949年の中華人民共和国の建国により、首相に就任した人物は誰か。│6 │

7. 1949年、国共内戦に敗れた蔣 介石と国民党は、どこに逃れて国民政府と中華民国を維持した│7 │

 か。1971年までは米国のバックアップで、国連代表権を握っていた。

8. 1950年、モスクワで中国とソ連との間に結ばれた軍事同盟は何か。1980年に解消。│8 │

9. 1950年~53年の朝鮮戦争に、毛 沢東の中国は何を派遣して、米国中心の国連軍を北緯38度線│9 │

 まで押し戻したか。

10. 1953年~57年、毛 沢東の中国が、ソ連の援助を受けながら農業の集団化や重工業育成を進め│10 │

 て成功した計画経済を何というか。

11. 1958年~62年、毛 沢東が、中国全土の極端な社会主義化を目指したが失敗した計画経済を何│11 │

 というか。59年には「悪平等」で勤労意欲が減退することによる生産ダウンが明らかになった。

 また、中ソ対立が深刻化し、59年には中ソ技術協定も破棄されて、自然災害にも襲われた。

12. 第2次五カ年計画(「大躍進」)で、村を単位とする政・経・軍・文化を含めた農業集団化が強行さ│12 │

 れたが、その組織体を何というか。1982年から解体が進み、89年には消滅。

13. 1959年、「大躍進」失敗から引責辞任した毛 沢東の後を受けて国家主席となり、資本主義を一│13 │

 部導入する調整政策を行い成功したが、文化大革命で獄死した人物は誰か。

14. 1963年、公開された東側のリーダー国同士の対立は何か。1956年のスターリン批判から。│14 │

15. 1969年、中ソ対立が武力紛争となった事件が、両国の国境地帯であるウスリー江の島で起き│15 │

 たが、それを何というか。

16. 1965年の思想闘争を基盤として翌66年に開始された、中国で毛 沢東が権力の座に返り咲くた│16 │

 めに主導した、極端な共産主義化を進めた内乱は何か。東側にソ連以外の極として中国が立ち

 上がったことを象徴する(多極化のホップ)。76年の毛の死と四人組逮捕で終結。

17. 国家主席劉 少奇とともに、調整政策を成功させていたが、文化大革命で「実権(走資)派」のリ│17 │

 ーダーとして弾圧され失脚した人物は誰か。文革後、復活して最高指導者に。 

18. 文化大革命において、毛 沢東が権力を奪回するために用いた大衆的な暴力装置で、特に学生│18 │

 を中心とした人々は何と呼ばれたか。

19. 毛 沢東とともに文化大革命を推進した軍人で、1971年、権力闘争に敗れて亡命を図るが、事│19 │

 故死(毛が暗殺?)した人物は誰か。

20. 林彪の死後、文化大革命の推進派として「批林批孔(林彪と孔子と批判)」を唱えたグループは│20 │

 何か。

21. 林彪の死後、文化大革命の行き過ぎを押さえようとした首相は誰か。毛は彼と四人組のバラ│21 │

 ンスの上に立って独裁権力を維持。

22. 1971年、国連総会で中華人民共和国と台湾(国民政府の中華民国)との間で争われ、米国の│22 │

 対中接近政策への転換から、圧倒的多数で後者から前者に交替した出来事は何か。後者は国連

 追放。

23. ベトナム戦争の失敗と後期冷戦でのソ連との対立を背景に、米国は中国への接近を図り、│23 │

 1972年2月にはどんな出来事が起きたか。

24. 1972年9月、ニクソン訪中を背景に日中関係はどうなったか。│24 │

25. 1972年9月、訪中して日中国交正常化を実現した日本の首相は誰か。│25 │

26. 1月に周 恩来が死去し、9月に毛 沢東が死去して10月に四人組が逮捕され、文化大革命が終│26 │

 結したが、それは何年か。

27. 1976年、周 恩来の死で首相になり、毛 沢東の死を受け10月に四人組を逮捕して文化大革命を│27 │

 終了させ、党主席に就任した人物は誰か。

28. 1976年10月の四人組逮捕で、完全復活した人物は誰か。その後の最高指導者。│28 │

29. 文革終了後の1977年から開始されて現在もその途上にある、経済の自由化を推進する鄧 小平│29 │

 時代からの政策を何というか。

30. 1978年の新憲法で謳われた、国防・工業・農業・科学技術における中国の新たな目標は何か。│30 │

31. 1972年の国交正常化を受け、文革終了後の1978年に結ばれた日中間の条約は何か。│31 │

32. 1972年のニクソン訪中を受け、文革終了後の1979年に、米(「人権外交」を展開した民主党のカ│32 │

 ーター大統領)中関係はどうなったか。

33. 1984年、鄧 小平の中国が英保守党首相サッチャーと結んだ協定で、1898年の約束通り、99年後│33 │

 の1997年に返還が約束された英領はどこか。50年間の資本主義体制維持(一国二制度)も決定。

34. 1989年(フランス革命200周年。東欧革命で社会主義政権と「ベルリンの壁」崩壊。マルタ会談で│34 │

 冷戦終結宣言)、改革・開放政策で経済の自由化が進む中国で、政治の民主化の遅れを批判する

 動きが北京に起こったが、鄧 小平の中国政府はこれを武力で弾圧した。この事件を何というか。

35. 1989年の天安門事件後に党総書記になり、1993年からは、2002年に平和的に権力を胡 錦濤に譲│35 │

 るまで、中国の国家主席だった人物は誰か。

36. 「外省人」で独裁を行った蔣 介石・蔣 経国親子の相次ぐ死を受けて、1988年に総統に就任し、│36 │

 「台湾」の民主化に成功した「台湾人」は誰か。


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