No.151.

1. 1982年のブレジネフの死後、アンドロポフ・チェルネンコと短命なソ連共産党書記長を経て、│1 │

 1985年にそのポストに就任した人物は誰か。1990年からは大統領を兼任し、翌91年には共産党を

 解散。

2. 1985年にソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフの内政で、政治・社会体制の改革を何と│2 │

 いうか。

3. ソ連のゴルバチョフが行った、経済的なペレストロイカの中心はどのようなものだったか。│3 │

4. 1985年にソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフの内政で、言論の自由を中心とした情報│4 │

 公開を何というか。   

5. 1986年、深刻な放射能汚染が周辺諸国にも広がった、ソ連の原発事故を何というか。│5 │

6. ソ連のペレストロイカは、ソヴィエト連邦を構成する諸民族の分離・独立運動を促進したが、│6 │

 1991年に独立したエストニア・ラトヴィア・リトアニアをまとめて何というか。

7. 1991年8月のソ連共産党保守派による反ゴルバチョフクーデタ失敗後、共産党が解散され、さ│7 │

 らに12月にはゴルバチョフが大統領を辞任して、ソ連はどうなったか。

8. 1991年12月にソ連が消滅して、ロシア連邦(それまでのロシア共和国から改称)を中心に11の│8 │

 共和国が結成した共同体を何というか。

9. 1991年12月、ロシア連邦の初代大統領に就任したのは誰か。2000年初、病気で辞任。│9 │

10. 第二次世界大戦後、東欧に成立した社会主義諸国の政治形態で、短期間、一党独裁の形をと│10 │

 らないブルジョワ市民革命の時期を経て、平和的に社会主義革命に到ったものを何というか。

11. 1956年のスターリン批判を受け、ポズナニで市民が自国のスターリン主義に反発して蜂起した│11 │

 事件は何と呼ばれたか。ソ連軍の介入を避けて自主解決。

12. 1956年のポズナニでの反ソ「暴動」で、ソ連の軍事介入を避けて白主的な「正常化」に成功し│12 │

 たポーランドの政治家は誰か。

13. 1968年、東欧一の工業国チェコスロヴァキアで自由化の波が広がったが、これは何と呼ばれた│13 │

 か。

14. 1968年の「プラハの春」でチェコスロヴァキアの指導者となり、「人間の顔をした社会主義」│14 │

 を目指した自由化の旗手は誰か。

15. 1968年、ソ連軍を中心としたワルシャワ条約機構軍がチェコスロヴァキア全土を制圧し、「プ│15 │

 ラハの春」と呼ばれた自由化がつぶされた事件を何というか。ドプチェクは失脚。

16. 第二次世界大戦末期、ソ連の力でドイツ支配から解放されたため、その衛星国になった他の│16 │

 東欧の社会主義諸国とは異なり、自力のパルチザンでドイツに勝利したため、スターリンの言

 いなりにならず、独自の道を歩んだ国はどこか。

17. 1948年にコミンフォルム(共産党情報局)から除名されたユーゴスラヴィアの首相は誰か。第二│17 │

 次世界大戦中のパルチザン指導者。1980年に死去。

18. 1961年、ユーゴスラヴィアの首都ベオグラードで開催され、米国やソ連の軍事ブロックに属さ│18 │

 ないことや国内に外国軍基地を置かないことを決議した会議を何というか。ティトーはここで

 第三勢力の有力な指導者として活躍。

19. 1949年に(東)ベルリンを首都として分立した、東ドイツの正式国号は何か。│19 │

20. 1961年、亡命者の増大に悩んだ東ドイツ政府が、西ベルリンを遮断するために構築した壁を何│20 │

 というか。

21. 1956年のスターリン批判を受け、首都のブダペストで市民が自国のスターリン主義に反発して│21 │

 蜂起した事件は何と呼ばれたか。ソ連軍に打倒され、首相は処刑された。

22. 1956年のハンガリー反ソ「暴動」で新首相になり、非スターリン化(一党独裁制の廃止やワル│22 │

 シャワ条約機構脱退、ソ連軍の国外撤去など)の声明を発表してソ連軍に打倒され処刑された人物

 は誰か。

23. 1961年、米国と平和共存政策を進めるソ連と断交し、中ソ論争で中国を支持したが、78年には│23 │

 米国と国交正常化した中国とも断交した東欧の国はどこか。

24. 1968年のチェコスロヴァキア事件には介入せず、国内に豊かな石油資源を持ったため、ソ連に│24 │

 依存しない自立経済をとった東欧の国はどこか。 

25. 1989年、ソ連のゴルバチョフによるペレストロイカの進展を背景に、東欧諸国の共産党支配が│25 │

 次々と崩壊したが、これを何と呼ぶか。

26. 1980年、ポーランドで約1千万人の全国組織として結成され、自由化を主張した組織は何か。│26 │

 翌81年、ヤルゼルスキ首相により戒厳令が施行されて非合法化されるが、これもソ連軍の介入

 を避けた自主解決と言える。

27. 1980年、ポーランドで自主管理労組「連帯」を指導した議長は誰か。1990年、大統領就任。│27 │

28. ポーランドで戒厳令(1981年から)が解除され、ワレサ議長率いる自主管理労組「連帯」が│28 │

 合法化されたのは何年か。東欧民主化の先駆けと言える。

29. 1989年2月、複数政党制に移行し、6月にはかつて反ソ「暴動」の責任者としてソ連に処刑さ│29 │

 れたナジの国葬が行われた東欧の国はどこか。東欧革命の先駆けと言える。

30. 1989年10月、東ドイツで18年間独裁を行ったホネカー書記長が退陣し、11月に起きた劇的な│30 │

 事件とは何か。

31. 1990年8月、東ドイツが西ドイツに吸収される形で実現した出来事は何か。│31 │

32. 1989年11月、かつて「プラハの春」の旗手としてソ連に失脚させられたドプチェクが復活し│32 │

 たチェコスロヴァキアは、12月、「民主フォーラム」の指導者で劇作家の誰が初代大統領に就

 任して民主化したか。

33. 1989年12月、ルーマニアで15年間独裁を行った大統領が、反体制運動の高まりの中で処刑さ│33 │

 れたが、それは誰か。

34. 1980年のティトー首相の死と、1989年の東欧革命と東西冷戦体制の崩壊を経て、ユーゴスラヴ│34 │

 ィアでは民族対立が表面化して内戦が起こり、1991年、二つのカトリックの共和国が連邦から

 離脱した。その内、最北に位置した国はどこか。

35. 1980年のティトー首相の死と、1989年の東欧革命と東西冷戦体制の崩壊を経て、ユーゴスラヴ│35 │

 ィアでは民族対立が表面化して内戦が起こり、1991年、二つのカトリックの共和国が連邦から

 離脱した。その内、中部に位置しセルビアと接した国はどこか。

36. 1992年からユーゴスラヴィアで内戦の中心となった、ムスリムとクロアティア人とセルビア人│36 │

 が三つ巴で対立した地域はどこか。1995年12月、和平協定調印。


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