No.150.

1. 1949年に分立した西ドイツ(ドイツ連邦共和国)で、1990年に統一されるまでの暫定首都とさ│1 │

 れた都市はどこか。

2. 1949年に就任した初代西ドイツ首相で、奇跡の経済復興と強国化に成功した、キリスト教民│2 │

 主同盟(1945年結成。ビスマルク時代のカトリック中央党が母体)党首は誰か。

3. キリスト教民主同盟のアデナウアー首相時代、1954年に、西ドイツが主権を回復(米・英・仏│3 │

 による分割占領が終わって独立)し、再軍備が認められ、翌55年にはNATO加入が決められた

 協定は何か。

4. 1969年、社会民主党を中心に第3党と連立して成立した内閣で、首相になった社会民主党の│4 │

 指導者は誰か。

5. 社会民主党のブラント首相時代、1970年に、ソ連−西独武力不行使条約と西独−ポーランド│5 │

 条約を結んで両国との国交正常化を行ったが、これらの外交を何というか。

6. 1970年にポーランドの首都ワルシャワで調印された西独−ポーランド条約で決定した、ドイ│6 │

 ツ(東ドイツも含めたもの)−ポーランド間の国境を何というか。川の名前から。

7. 社会民主党のブラント首相時代、1972年に、東方外交の総仕上げとして東西ドイツが互いを│7 │

 独立国として承認し合い、オーデル=ナイセ線を東独−ポーランド間の国境として確認した条

 約は何か。

8. 1972年に東西ドイツ基本条約が結ばれた翌1973年、東西ドイツは同時にどこに加盟したか。│8 │

9. 1982年、社会民主党に代わってキリス教民主同盟中心の内閣が成立したが、その首相はキリ│9 │

 スト教民主同盟党首の誰か。1990年、ドイツ統一。フランスとともにEU(ヨーロッパ連合)を推進。

10. 第二次世界大戦後の1948年、イタリアの政体は王政から何に変わったか。│10 │

11. 1970年代半ばから、イタリアを中心とした南欧・西欧諸国の共産党が主張した、議会政治を尊│11 │

 重し、ソ連共産党の優位を認めないなどの革命理論を何というか。

12. 1955年、オーストリアが主権を回復(米・ソ・英・仏の四カ国共同管理が終わって独立)し、永世│12 │

 中立国になった条約は何か。

13. 1946年、共産化を恐れた米・英が王党派を支持して国民投票により王政復古したバルカン半島│13 │

 の国はどこか。翌47年、マーシャル=プランを受け入れている。 

14. 二度の世界大戦の主戦場となり疲弊したヨーロッパを再建するための、フランス外相シュー│14 │

 マンによる提案(シューマン=プラン)で1952年に発効した、仏・西独・伊・ベネルクス三国の6カ国

 間で石炭・鉄鋼の統合と共同運営を決定した共同体は何か。

15. 1958年、ECSCを母体として、原子力資源の統合と共同管理を決定して発足した共同体は何か。│15 │

16. 1959年、ECSCを母体として発足した経済共同体は何か。│16 │

17. 1960年、EECに対抗して、英を中心に北欧三国・墺・スイス・ポルトガル(後にフィンランド・アイス│17 │

 ランド)で発足した貿易連合は何か。 

18. 1967年、ECSC・EURATOM・EECが統合されて発足した共同体は何か。│18 │

19. 1973年に、英・アイルランド・デンマークが加わって9カ国になり、それまでのECは何と呼ば│19 │

 れたか。81年にギリシア、86年にスペイン・ポルトガルが加盟。

20. 1992年に、ECが市場統合後に、共通外交・欧州市民権・単一通貨制度などを目指すことを決定│20 │

 したヨーロッパ連合(EU)条約を何というか。

21. 1992年にヨーロッパ連合(EU)条約が結ばれた、マーストリヒトはどの国の都市か。│21 │

22. 1993年に市場統合を実現したECは、前92年の条約に基づいて何と呼ばれるようになったか。│22 │

23. 第二次世界大戦後のソ連で、1930年代からの個人独裁を続行し、「前期冷戦の東側の立て役者」│23 │

 となった人物は誰か。 

24. スターリン独裁の外交で、1947年に結成された共産党情報局は何か。│24 │

25. スターリン独裁の外交で、1948年にコミンフォルムを除名された東欧の社会主義国は何か。│25 │

26. スターリン独裁の外交で、1949年、ソ連を中心に、東欧諸国・モンゴル(後にキューバ・ヴェトナム│26 │

 も加盟)などで形成された経済協力機構を何というか。1991年、ソ連消滅で解散。

27. スターリン独裁の外交で、1949年に成立した中華人民共和国と結んだ条約は何か。│27 │

28. スターリンの死は、東側諸国と世界に緊張緩和をもたらしたが、それは何年か。│28 │

29. 1953年のスターリンの死により、ソ連共産党書記長に就任した人物は誰か。58年から首相を兼│29 │

 任した緊張緩和期の最高指導者。

30. 1956年、ソ連共産党第一書記フルシチョフが、ソ連共産党第20回大会の秘密報告で、スターリ│30 │

 ンによる個人崇拝・大量粛清などを非難したことを何というか。

31. 1956年のスターリン批判を受け、首都のブダペストで市民が自国のスターリン主義に反発して│31 │

 蜂起した事件は何と呼ばれたか。ソ連軍に打倒され、首相は処刑された。

32. 1956年のスターリン批判を受け、ポズナニで市民が自国のスターリン主義に反発して蜂起した│32 │

 事件は何と呼ばれたか。ソ連軍の介入を避けて自主解決。

33. 1956年、スターリン批判を行ったソ連のフルシチョフが同じ大会で打ち出した、国際政治に関│33 │

 する新しい路線を何というか。

34. 1959年、ソ連のフルシチョフ訪米により実現した米・ソのトップ会談はどこで行われたか。│34 │

35. 1962年、ソ連のキューバでのミサイル基地建設に、米国ケネディ大統領が強硬に反対し、全面│35 │

 核戦争の危機に陥る事態になったが、ソ連のフルシチョフが譲歩した事件は何か。

36. 1963年、前年のキューバ危機を教訓に、米・ソ・英が調印し多数の国が承認した条約で、地下│36 │

 を除く核実験を禁止したものは何か。仏・中は不参加。

37. 1955年、西ドイツの再軍備とNATO加盟に対抗して、ソ連を中心とする東側の軍事同盟が成│37 │

 立したが、それは何か。1991年、ソ連消滅で解散。

38. 1964年のフルシチョフ解任後、ソ連共産党書記長に就任して「後期冷戦の東側の立て役者」と│38 │

 なり、1982年に死去するまで独裁的権力を維持した人物は誰か。

39. ブレジネフ独裁の外交で、1968年、ソ連軍を中心としたワルシャワ条約機構軍が侵入、全土を│39 │

 占領して「プラハの春」と呼ばれた自由化がつぶされた国はどこか。

40. ブレジネフ独裁の外交で、1979年、親ソ派のクーデタを支援して、ソ連軍が侵攻し、全土を制│40 │

 圧した事件は何か。


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