No.129.

1. ビスマルクが辞職し、独露間の再保障条約が破棄されて、ロシアとフラ│1 │

 ンスの間に結ばれた同盟関係は何か。

2. 独の帝国主義政策で、バルカン半島から西アジアへの進出を図るものは何か。│2 │

3. 3B政策で、バルカン半島にありボスフォラス海峡でアジアに接する都市は何か。│3 │

4. 3B政策の中心として、ドイツが19世紀末に敷設権を獲得した、小アジ│4 │

 アからペルシア湾に通じる計画の鉄道は何か。

5. 「世界の工場」たる経済力と伝統的な海軍力を背景にした、19世紀イギ│5 │

 リスの「余裕の孤立主義」外交を象徴する言葉は何か。

6. 1902年、イギリスが、東アジアでのロシア南下に対抗するために、「光栄│6 │

 ある孤立」を捨てて結んだ条約は何か。

7. 1904年の英仏協商で、英は仏にどの地域の優越権を認めさせたか。 │7 │

8. 英仏協商で、フランスはイギリスにどの地域の優越権を認めさせたか。│8 │

9. 1907年の英露協商で、英は露にイランのどの地域を勢力範囲として認め│9 │

 させたか。

10. 英露協商で、露は英にイランのどの地域を勢力範囲として認めさせたか。│10 │

11. 英露協商で、内政不干渉とされた地域はどこか。 │11 │

12. 露仏同盟と英仏協商と英露協商によって成立した体制を何というか。 │12 │

13. 独皇帝ヴィルヘルム2世が、仏のモロッコ進出に干渉して起こしたが、│13 │

 2度とも英の介入で失敗した事件は何か。

14. 1911年の第2次モロッコ事件は、独海軍の上陸港名から何と呼ばれるか。│14 │

15. 第2次モロッコ事件の後、モロッコの大部分を保護国としたのはどの国│15 │

 か。一部はスペインへ。

16. 第2次モロッコ事件(アガディール事件)のどさくさにまぎれて、1911年〜12年、│16 │

 イタリアがトルコと戦争して今のリビア(トリポリ・キレナイカ)を取得したが、それは

 スイスの地名で何という条約によるか。

17. 独が後押しした、ゲルマン民族の勢力拡大と団結を図る運動や思想は何。│17 │

18. 露が利用した、スラヴ民族の勢力拡大と団結を図る運動や思想は何か。│18 │

19. 1908年、ギリシアのサロニカで青年トルコ党員の将校が挙兵し、トルコ(オ│19 │

  スマン帝国)の政権を握って憲法と議会政治を復活させた革命を何というか。

20. 青年トルコ革命による混乱を契機に、トルコから独立した国はどこか。│20 │

21. 青年トルコ革命による混乱を契機に、墺が併合したトルコ領で、セルビ│21 │

 ア人が多く住んでいた地域はどこか。1878年のベルリン条約以来、墺が統治権を握っていた。

22. 1878年のサン=ステファノ条約によりトルコから独立した三つの国の一つ。6世│22 │

 紀には王国を形成していた誇り高い南スラヴ人の国は何か。バルカン半島でのパン=スラヴ主義の中心。

23. 1912年、反オーストリアのバルカン同盟(セルビア・モンテネグロ・ギリシア・ブルガリア)結成│23 │

 を指導した国は何か。

24. 1912年〜13年の第1次バルカン戦争で敗戦国となり、ますます独・墺に│24 │

 接近した国は何か。

25. 第1次バルカン戦争後の1913年にトルコから独立した国は何か。 │25 │

26. 1913年の第2次バルカン戦争で敗戦国となり、独・墺に接近した国は何。│26 │


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