No.124.

1. エジプトとケープ植民地を南北に結ぶ、イギリスのアフリカ進出政策を│1 │

 何というか。

2. 19世紀後半、スエズ運河を建設したフランス人技師は誰か。 │2 │

3. 1881年、アフガーニーの影響を受けてエジプトの陸軍大臣が蜂起したが│3 │

 翌1882年には英軍に鎮圧され、以後40年間軍事占領されることになった反乱は何。

4. 1881年から98年まで続いた、教祖ムハンマド=アフマドを指導者とする、│4 │

 スーダンの復古的イスラム教派による反英闘争を何というか。

5. 常勝軍を率いて太平天国軍鎮圧に活躍したが、スーダンではマフディー│5 │

 軍との戦いに敗れてハルツームで戦死したイギリスの軍人は誰か。

6. ケープ植民地のオランダ系移民の子孫は、自らをアフリカーナーと自称│6 │

 してイギリスの進出に抵抗したが、彼らを何というか。

7. ブール人がケープ植民地の北に建設した国の一つは何共和国か。 │7 │

8. ブール人がケープ植民地の北に建設した国の一つで、オランダの王家の│8 │

 名前に由来するものは何自由国か。

9. 19世紀末から20世紀初めにかけて、ブール人国家のトランスヴァール共│9 │

 和国とオレンジ自由国にイギリスが進出を図った戦争を何というか。

10. ケープ植民地首相となり、イギリスの帝国主義政策を推進した人物で、「惑│10 │

 星をも併合したい」という言葉を残したのは誰か。

11. 北アフリカ・サハラ砂漠とジブチ(仏領ソマリランド)を東西に結ぶ、│11 │

 フランスのアフリカ進出政策を何というか。

12. 1898年、英・仏のアフリカ進出政策がナイル河上流の都市で衝突したが、│12 │

 この事件は何か。フランスが譲歩し、スーダンでのイギリスの支配権が確立。

13. 1884〜85年、列強間のアフリカ分割に関する協定作成のため、ビスマル│13 │

 クが開催した会議は何か。ベルギーによるコンゴ領有をめぐる紛争調停が直接の背景。

14. ビスマルク時代にドイツが領有したアフリカ西部のギニア湾沿岸の「奴│14 │

 隷海岸」と呼ばれた地域はどこか。

15. 独皇帝ヴィルヘルム2世が、仏のモロッコ進出に干渉して起こしたが、│15 │

 2度とも英の介入で失敗した事件は何か。

16. 第2次モロッコ事件の後、モロッコの大部分を保護国としたのはどの国│16 │

 か。一部はスペイン。

17. 19世紀後半、英・伊(・仏領はジブチ)で分割された「アフリカの角」と│17 │

 呼ばれた地域はどこか。

18. 列強によるアフリカ分割の時代に独立を維持したアフリカ北東部の国で、│18 │

 1世紀から繁栄し、4世紀にはキリスト教国化していたものは何か。

19. 1896年、伊が仏の武器援助を受けたエチオピアに完敗した戦いは何か。│19 │

20. 19世紀後半にリヴィングストン捜索に成功した米国の探検家で、コンゴ│20 │

 探検をベルギー王の援助で行ったのは誰か。

21. 19世紀後半、ベルギーが領有した中部アフリカの地域はどこか。 │21 │

22. 列強によるアフリカ分割の時代に独立を維持したアフリカ西岸の国で、19│22 │

 世紀前半に米国の解放黒人奴隷によって建国されていたものは何か。

23. 18世紀末からイギリスの流刑植民地となり、19世紀には牧羊業や鉱山で│23 │

 急速に発展し、1901年に自治領となった地域はどこか。首都はキャンベラ。

24. 19世紀半ばにイギリスの植民地となり、1907年に自治領となった地域は│24 │

 どこか。首都はウェリントン。

25. 1898年の米西戦争をチャンスとして独立宣言を出した、フィリピンの民│25 │

 族主義運動の指導者は誰か。米国領となった後は反米から親米に路線に転換。


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