No.122.

1. ビスマルクを辞職させた第3代ドイツ皇帝は誰か。協調的なビスマルク│1 │

 とは対照的に、「世界政策」と呼ばれる強硬な帝国主義政策を推進し、第一

 次大戦では同盟国側の中心となった。

2. ビスマルク辞職の理由は、社会主義を弾圧するための法律の必要性をめ│2 │

 ぐる争いで、彼が維持を皇帝ヴィルヘルム2世が廃止を主張して互いに譲ら

 なかったことだが、その法律とは何か。

3. 1875年、ドイツのラサール派(マルクス主義はとらないラサール中心)とアイゼナハ派(マルクス主│3 │

  義のベーベル中心)が合同して結成された、史上初の社会主義政党は何か。

4. 19世紀末、ドイツ社会民主党を穏和化(マルクス主義を否定)した理論的指導者は誰。│4 │

5. 19世紀末、ドイツ社会民主党のベルンシュタインは、議会主義や社会改│5 │

 良によって社会主義が実現できると主張したが、この立場を何というか。

6. 19世紀末から20世紀初めに、「膨張的」な帝国主義を強行したロマノフ│6 │

 朝最後の皇帝は誰か。

7. 19世紀末、急激な「上から」の工業化を実施した大蔵大臣で自由主義者│7 │

 は誰か。

8. 1898年に結成された、マルクス主義に立つロシアの社会主義政党は何か。│8 │

9. 1903年、ロシア社会民主労働党は左(革新派)右(保守派)に分裂したが、資本主│9 │

 義が不十分でもロシアで社会主義革命が可能であると主張した左派の人々を

 何というか。

10. ロシア社会民主労働党左派のボリシェヴィキの指導者は誰か。 │10 │

11. 1903年、ロシア社会民主労働党は左右に分裂したが、資本主義が不十分な│11 │

 ロシアではまずブルジョワ市民革命が必要であると主張した右派の人々を何

 というか。

12. ロシア社会民主労働党右派のメンシェヴィキの指導者で、「ロシアのマル│12 │

 クス主義の父」と呼ばれた人物は誰か。

13. 1901年に結成された、農民を革命の主体としロシアの伝統的な農村共同│13 │

 体であるミールを基盤とした社会主義革命を目指す、ナロードニキの流れを

 くむ政党は何か。マルクス主義は否定。

14. 1905年に結成された、立憲君主政の樹立を目指し、ブルジョワや地主が│14 │

 結成した政党は何か。

15. 敗北続きの日露戦争末期に起こった事件で、首都ペテルブルクの民衆が│15 │

 皇帝に「生活改善と平和」を請願したが、近衛軍隊が発砲して多くの犠牲者

 を出したものを何というか。

16. 日露戦争末期の1905年に起きた血の日曜日事件に始まる、ロシア国内の│16 │

 一連の革命騒ぎを何というか。

17. ロシア第一次革命で、都市の労働者が工場を母体に自発的に形成した代│17 │

 表会議の「評議会」を何というか。

18. ロシア第一次革命をなだめるための「アメ」として、皇帝ニコライ2世│18 │

 は国会の開設と憲法制定を約束したが、これを何というか。

19. この約束に基づき、1906年に開設された初のロシア議会は何か。 │19 │

20. 1906年に開設された初のロシア議会、ドゥーマで第一党となった政党は│20 │

 何か。

21. ロシア第一次革命後、革命運動の弾圧やドゥーマの無力化などの反動政│21 │

 治を行う一方、伝統的な農村共同体ミールを解体して富農を創出する土地改

 革を実行した政治家は誰か。


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