No.116.
1. 1796年、イランに成立した、シーア派だがトルコ系のイスラーム王朝は何か。
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2. 1796年に成立したイランのカージャール朝は、都をどこに置いたか。今の首都。
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3. 1828年、南下政策を推進するロシアがイランのカージャール朝に結ばせ
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た、治外法権を含む不平等条約は何か。
4. 1828年のトルコマンチャーイ条約でロシアがイランから取得した、カフ
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カス山脈南部の小アジアとカスピ海の間に位置する高原地帯を何というか。
5. 18世紀半ば、今の首都でもあるカブールを都としてアフガニスタンに成
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立した王国は何か。
6. 19世紀半ば、ロシアの援助を受けたイランがアフガン王国を攻撃したが
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インドでの権益を保護するためにアフガン王国を援助してイランを撃退さ
せるとともにイランに治外法権を認めさせたヨーロッパの強国は何か。
7. 19世紀後半から20世紀前半にかけて、アフガン王国がイギリスと3度戦
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って「2勝1敗」だった戦争を何というか。
8. 19世紀前半、イランにおこったイスラーム教シーア派の神秘主義的新宗
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派で、社会改革を主張してカージャール朝政府から弾圧されたものは何か。
9. 19世紀半ば、イランで民衆が英・露などの外国勢力への屈従を拒否して
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武装蜂起したが政府に鎮圧された。バーブ教徒が中心だったことからこの
反乱を何というか。
10. 19世紀末、アフガーニーの影響を受けてイランに起こった民衆運動で、
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政府が英にイラン全土での独占的タバコ利権を認めたことに反対したもの
は何か。イラン人ナショナリズムの基礎。
11. ヨーロッパで七年戦争が戦われている時の、インドでの英仏間の植民地
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戦争で、1757年、イギリスがフランスと現地勢力であるベンガル土侯の連
合軍に圧勝した戦いは何か。
12. 1763年、イギリスが南インド東岸を取得したのは、第3次の何戦争で仏
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に勝利したからか。
13. 18世紀末、イギリスが南インドを取得したのは、4度にわたるマイソー
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ル王国との戦いに勝利したからだが、この戦争を何というか。
14. 1815年のウィーン議定書で、イギリスがオランダから取得したインド東
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南の島は何か。
15. 19世紀前半、イギリスが西インドを取得したのは、18世紀後半からの3
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度にわたるマラータ同盟との戦いに勝利したからだが、この戦争を何とい
うか。
16. 19世紀半ば、イギリスが西北インドのパンジャーブ地方を取得して全イ
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ンドの征服を完成したのは、2度にわたるシク教徒との戦いに勝利したか
らだが、この戦争を何というか。
17. 英東インド会社はインド人の傭兵隊を編成した。この傭兵を何というか
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18. 19世紀後半、経済の悪化と反英感情の高まりを背景に、東インド会社の
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インド人傭兵であるシパーヒーの蜂起から始まったことからインド初の民
族的大反乱は何と呼ばれたか。
19. 1857年5月に勃発した「シパーヒーの反乱」は、ヒンドゥー・イスラー
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ム両教徒や地主と農民が協力し合ってムガル皇帝の統治復活を宣言したが、
どこを占領してそれを行ったか。
20. 19世紀後半、イギリス女王がインド皇帝を兼任する形でインド帝国が成
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立し、名実ともに本国イギリス政府のインド直接統治が始まるが、この女
王は誰か。
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