No.102.
1. 仏革命からナポレオン戦争で混乱したヨーロッパの国際秩序を再建する
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ため、19世紀前半に開催された会議は何か。
2. ナポレオン戦争の戦後処理を目的としたウィーン会議は、何年から何年
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まで開催されたか。
3. ウィーン会議を主催し、議長を務めたオーストリア外相(後に宰相)は誰か。
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4. ウィーン会議に出席した敗戦国フランスの代表で、自国の戦争責任を巧
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みに逃れたのは誰か。
5. ウィーン会議でフランス代表タレーランが提唱し承認された原則で、仏
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革命以前の王朝・旧制度・国境を正統とするものを何というか。
6. ウィーン会議は、仏革命で生まれナポレオンがヨーロッパ諸国に広めた
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二つの政治的潮流こそが革命や戦争の原因であるとしてそれを抑圧するこ
とを手段とした。その二つとは何か。
7. ウィーン会議で成立した、保守反動(仏革命で生まれた自由主義とナショナリズムを否定)を手段
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とする国際秩序を何というか。
8. 1815年、ロシア皇帝の提唱で成立した国際同盟で、キリスト教の友愛精
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神に基づいてウィーン体制を維持する役割を果たしたものは何か。
9. ナポレオンのロシア遠征を破り、ウィーン会議に出席して神聖同盟の成
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立を提唱したロシア皇帝は誰か。
10. 1815年、ヨーロッパの強国だけで結成された国際同盟で、ウィーン体制
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を維持する役割を果たしたものは何か。
11. 1815年結成の四国同盟に参加した四つの強国を、ウィーン体制に熱心な
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順番に並べよ。
12. 1818年、四国同盟にある国が加入して五国同盟(ただし、英が1822年脱退)となった
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が、それはどこか。
13. ウィーン議定書でオーストリアが、オランダに割譲した「飛び地」はど
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こか。今のベルギー。
14. ウィーン議定書でオーストリアが取得した北イタリアの二つの地域はど
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ことどこか。
15. ウィーン議定書でロシアがスウェーデンから取得した地域はどこか。
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16. ウィーン議定書でロシアが不参加国のトルコから取得した地域はどこか。
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17. 後にドイツ統一の担い手となるプロイセンが、ウィーン議定書で取得し
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た「飛び地」で、産業革命の中心地となる地域はどこか。
18. ウィーン議定書で英がオランダから取得した、インド東南の島は何か。
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19. ウィーン議定書で英がオランダから取得した、アフリカ南端の植民地は何か。
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20. ウィーン議定書でイギリスがフランスから取得した、地中海の島は何か。
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21. 英がウィーン議定書で取得した領土は、自国とどこを結ぶルートの確保
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を目的とした拠点か。
22. ウィーン議定書でオランダの政体はどうなったか。
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23. ウィーン議定書でスイスは今に至るどんな国になったか。
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24. ウィーン議定書で「ドイツ」にはどんな連邦が成立したか。西南ドイツ
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のライン同盟は解体。
25. ウィーン議定書で成立した新たな「ドイツ」であるドイツ連邦の盟主国
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はどこか。
26. ウィーン議定書で立憲王国として再独立したポーランドは、王を他国の
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皇帝が兼任したため、事実上はその国の領土とされた。その国とは何か。
27. 後にイタリア統一の担い手となるサルデーニャが、ウィーン議定書で取
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得した北イタリアの地域はどこか。
28. ウィーン議定書で、フランス・スペイン・ナポリで復活した王朝は何か。
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