No.101
1. 1805年10月、ナポレオンの対英上陸作戦を失敗させた帆走戦艦時代最後
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の海戦は何か。
2. 1805年、トラファルガーの海戦で勝利したが戦死した英海軍提督は誰。
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3. 1805年10月のトラファルガーでの敗戦のわずか2カ月後、ナポレオンが
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露・墺連合軍に大勝して第3回対仏大同盟を解散させた戦いは何か。
4. 1806年、西南ドイツの諸領邦を組織したナポレオンが盟主の「操り人形
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的連邦」は何か。これにより神聖ローマ帝国は消滅。
5. 1807年に普・露連合軍がナポレオンに敗れて、両国が結ばされた屈辱的
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な講和条約は何か。
6. ティルジット条約でエルベ川以西の普領に設立された国家で、ナポレオ
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ンの弟ジェロームが王となり、後にライン同盟に加入するものは何か。
7. ティルジット条約で旧ポーランド領の一部(18世紀後半から普が支配した部分)に設立さ
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れた国は何か。
8. ナポレオンが、その支配下に置いたヨーロッパ諸国に英との通商を禁止
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することによって、英の経済的自滅を期待して発布した勅令は何か。
9. 1808年に兄のジョゼフがナポリ王(1806年以来)と王を兼任した「衛生
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国」は何か。ゲリラによる反乱続発。
10. 1806年に弟のルイが王になった「衛星国」は何か。
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11. 仏革命の理想の輸出を侵略の口実としたナポレオン帝国による支配の影
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響で、ヨーロッパ各国に発芽した民族主義や国民主義を何というか。
12. ナポレオンの支配下に置かれたプロイセンで、近代化のための国制改革
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を断行した宰相で、ナポレオンににらまれて引退させられたのは誰か。
13. ナポレオンの支配下に置かれたプロイセンで、近代化のための国制改革
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を断行した宰相で、後にウィーン会議に全権として参加したのは誰か。
14. 宰相シュタインとハルデンベルクによるプロイセン国政改革(「上から
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の近代化」)の中心だが、ユンカー経営の大農場は維持された改革の内容は何か。
15. ナポレオン支配下のドイツで、ドイツ観念論哲学者フィヒテが行ったド
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イツ民族意識を自覚・高揚させた講演の題目は何か。
16. ナポレオンの衛星国とされた1808年から、ゲリラ(独立した不正規小武装集団)戦によ
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る民族主義的抵抗でフランス軍を悩ませた国はどこか。
17. ティルジット条約(1806年発布の大陸封鎖令に協力して英と通商しない)違反を理由に、
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ナポレオンが1812年に強行して大失敗した遠征は何か。モスクワを占領するも焦土戦術と
冬将軍の襲来により退却。
18. ナポレオンのロシア遠征失敗を機に結成された四度目の仏包囲網は何。
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19. ナポレオン帝国による支配からのヨーロッパ諸国の解放戦争の中で、
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1813年に普・墺・露連合軍が大勝した戦いは何か。
20. ライプチヒの戦いに敗れたナポレオンは、翌14年皇帝を退位してどこに
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流刑とされたか。
21. ナポレオン退位後、ブルボン朝を復活させて仏王に即位したが、反動的
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で国民の不満を高めてしまったのは誰か。
22. ナポレオン戦争後の秩序再建と諸問題を討議するために開催されたが、
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利害の対立で難航し、「会議は踊る。されど進まず」と揶揄された国際会
議は何か。
23. ウィーン会議中の1815年3月、ナポレオンはエルバ島を脱出して仏皇帝
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に復位したが、6月には英・普連合軍に大敗した。この戦いは何か。
24. 1815年のワーテルローの戦いで最終的にナポレオンを破滅させた、イギ
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リスの将軍は誰か。
25. 1815年のワーテルローの戦いに敗れたナポレオンは、再退位してどこに
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流刑とされたか。
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