No.55.
1. 清の4代康煕帝が、東アジアを南下したロシア(ピョートル1世がようやく単独皇帝
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になった頃)軍を撃破して結んだ国境線画定の条約は何か。
2. ロシアと清朝中国の間の国境を画定したネルチンスク条約が成立したの
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は何年か。
3. 清の4代康煕帝が、東モンゴルに親征して藩部としたが、この時滅ぼし
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たモンゴルの部族は何か。
4. 清の4代康煕帝が、西モンゴルに親征して藩部化を始めたが、この時平
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定したモンゴルの部族は何か。滅ぼして領土化するのは、乾隆帝である。
5. 清の4代康煕帝はチベット北東部(今の青海省)を藩部としたが、ここは何と
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呼ばれたか。
6. 清の4代康煕帝はチベット(1965年に成立した今のチベット自治区)を藩部としたが、
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ここに7世紀から続いた統一王国を中国では何と呼んだか。
7. 18世紀前半の清5代皇帝で、治世は短いが、軍や政府の綱紀粛正に成功
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したのは誰か。
8. 清の5代雍正帝が設置した軍事上の最高機関で、後に国政全体の実質的
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最高機関(形式的には明の永楽帝が設置した内閣)となったものを何というか。
9. 1727年、清の5代雍正帝が結んだ、ロシアとのモンゴル方面での国境線
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画定の条約は何か。
10. 18世紀前半から末の極盛期の6代皇帝で、清の領域を最大(これが、ほぼ今の
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中国領)としたのは誰か。
11. 清の6代乾隆帝は西モンゴルを藩部としたが、この時滅ぼしたモンゴル
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の部族は何か。康熙帝が、一時平定している。
12. 清の6代乾隆帝は新疆(今の新疆・ウイグル自治区)を藩部としたが、この時滅ぼした
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ウイグル族のイスラーム教徒の部族は何か。
13. 清は東モンゴル・青海・チベット・西モンゴル・新疆に自治を許して間
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接支配したが、これらの行政区分を何と呼んだか。
14. 五つの藩部を監督する機関が都北京に置かれ、乾隆帝が整備・充実させ
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たが、何というか。
15. 清の直轄地は三つあったが、中国本部と台湾ともう一つはどこか。
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16. 清の4代康煕帝がイエズス会以外によるキリスト教布教を禁止したの
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は、イエズス会が中国人信者の孔子や祖先を祭ることを認めていたが、ド
ミニコ派・フランチェスコ派はこれを認めなかったからであるが、この中
国での布教方法をめぐる、カトリック諸派の論争を何というか。
17. 1724年、典礼問題からキリスト教の布教を全面的に禁止したのは清のど
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の皇帝か。
18. 1747年、典礼問題からキリスト教の信仰を全面的に禁止したのは清のど
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の皇帝か。
19. 1720年、清の4代康煕帝が広州での貿易独占権を認めた特許商人組合は
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何か。
20. 1757年、清の6代乾隆帝が海禁を徹底し、貿易港を1港に制限したが、
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それはどこの港か。
その他:
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