No.53.

1. 明は3代永楽帝死後の15世紀中頃以降、北からはモンゴル、南からは倭│1 │

 寇の侵入を受けて衰退したが、これらを合わせて何というか。


2. 元の滅亡後、西モンゴルを領有したモンゴル人部族は何か。 │2 │


3. 西モンゴルのオイラトの君主で、さらに全モンゴルの指導者となり、 │3 │

 1449年には明の6代皇帝を捕虜にしたのは誰か。


4. 1449年、明の6代皇帝が、モンゴル人部族オイラトの君主エセン=ハンの│4 │

 捕虜になった事件を何というか。


5. 1449年の土木の変で、モンゴル人部族オイラトの捕虜になった明の6代│5 │

 皇帝は誰か。


6. 東モンゴルの北元が、明の初代洪武帝に滅ぼされた後の残存勢力を、明│6 │

 では何と呼んだか。


7. 16世紀に登場したモンゴル人部族タタール(韃靼)の君主で、1550年には明│7 │

 の都北京を包囲したのは誰か。


8. 16世紀にタタールのアルタン=ハンが、チベットを撃破してモンゴル高│8 │

 原に移入した宗教は現在もモンゴルで広く信仰されているが、それは何か。

 元のフビライと法王パスパがルーツ。


9. 13世紀から16世紀にかけて、朝鮮・中国沿岸で猛威をふるった海賊で、│9 │

 前期は日本人が、後期は中国人が中心であったものを何というか。


10. 16世紀後半万暦帝幼少時に、内政では全国的な土地測量を実施し行政改│10 │

 革を断行して財政を再建し、外交ではタタール(韃靼<だったん>)のアルタン=ハンと和

 議を結んで軍事費を節約するとともに防備を固めるなどの独裁的改革に成

 功した首相(内閣大学士の筆頭)は誰か。


11. 幼少時は首相張 居正の独裁的な改革で一時的に明は立て直されたが、彼│11 │

 の死後は政治を宦官任せにして明滅亡の要因を作った、16世紀後半から17

 世紀前半の14代皇帝は誰か。


12. 明末に復興された東林書院を中心とした朱子学派の官僚・学者たちが、│12 │

 君主独裁と宦官の専横に対抗した政治的党派は何か。


13. 明末に東林派と党争を戦った、宦官派の保守官僚たちによる政治的党派│13 │

 は何か。


14. 万暦帝の死後に登場した大宦官で、非東林派の中心として東林派を弾圧│14 │

 したのは誰か。


15. 万暦帝の時代に属国である李氏朝鮮に援軍を送ることで明は財政難に苦│15 │

 しんだが、明の征服を目的に朝鮮半島に攻め込んだ日本の指導者は誰か。


16. 17世紀中頃、土地の均分を要求した貧民の蜂起に始まり、明を滅ぼした│16 │

 農民反乱は何か。


17. 17世紀中頃、農民反乱の首領として首都北京を攻略し、明を滅ぼした貧│17 │

 農出身の武将は誰か。


18. 明を滅ぼした農民反乱である李 自成の乱は何年の出来事か。 │18 │


その他:

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