No.122
「ビスマルクの辞職」
☆ この風刺画の題名は「水先案内人が船を去る」。船の名前は新生ドイツ帝国
で、デッキからしたり顔で見下ろすのが若き皇帝ヴィルヘルム2世。
この後のドイツの強硬な帝国主義では新航路政策と呼ばれる。
「血の日曜日事件の惨劇を冬宮の中から見る
ニコライ2世とアレクセイ王子」
☆ ロシア民衆は、皇帝(ツァーリ)のみは信頼していたが、その
皇帝ニコライ2世には惨劇を見物する非人間性があったという風刺。
この風刺画は、当時同盟国(1891〜94年に成立した露仏同盟)
であったフランスのグランジュアンによる。同盟国の君主に対するも
のとしてはなかなか厳しい。
「ニコライ2世の専政に対する風刺」
☆ ロシア皇帝ニコライ2世が、専制政治の機構に操られて、革命の
急流(原画では赤色)を下ろうとしていることを表している。
1905年7月30日イタリアの「パスクィノ」紙に掲載されたF=スカル
ペリの画。